「壺川」と「西壷川」バス停の話は調べてみると奥が深かった
バス停留所についての連載の1回目の記事※1のコメント欄にて「バスなびで隣接する
まずは現地調査
生まれて此の方、この記事を書いている今の今まで壷の下側は亜か亞だと思ってました。どっひゃー。
那覇で普通に使われている壷はこちら
パソコン・スマホで表示される壷はこちら
貼られている時刻表の文字は壺・壷が入り乱れています。
こちらは西壷川のバス停。壷字ですが亜ではありません。こちらも道向かいも含めてバス停両面とも同様です。
近所の看板
電柱の表記。壼(亞)。
上の沖縄電力の表記は(亜)。下のNTTは壷。
「壷」字の看板。
川商会看板。下の部分は亜。の字も異体字ですね。手作りパンの店しまやも「川店」。
ローソン那覇壷川店。
ローソン壷川店横の案内地図。なぜかここではローソン壺川店。道路名は壷川。
沖縄公文書館・那覇市歴史博物館資料
昔の資料はほとんどが亜の川です。
亞と書いた壼屋もあります。
沖縄公文書館・那覇市歴史博物館資料のWebサイトのデータは壷川・壺川の両方が使われていました。
意味の違い
壺がいわゆるツボ。壷は異体字。壼(亞)はコンと読んで「宮殿の中、奥」の意味らしい。(亜)はわからない。GliphWikiによると壼の関連字だそうだが。
熊本には壺川・壷川(コセン)という地名もあるようです。河川名でもいくつか見かけます。
康熙字典では壷が正字体として掲げられていて、壺は壷に同じと書かれてます。どちらが正字ということはなく、両方使われていたのでしょう。
漢字コード変更による混乱
壺・壷の文字は両方ともJIS C 6226-1978 情報交換用漢字符号系に含まれていたが、JIS C 6226-1983改定の際に文字コードが入れ替えられて大混乱を招いた。NEC PC-9801が(互換性を保つために)JIS C 6226-1978を使い続けていて、他の機種とは互換性の問題があったことを覚えている人も多いと思う。
1990年代前半はPC-9801のシェアが高く、それで作られた文書も多かった。もしかしたらそれらの内容がそのまま伝わって(意識せずに)壷川→壺川に変わってしまった文書もあったかもしれない。
(沖縄辞書も壺川だけなんだよなあ。追加しなきゃだわ)
これは地域文字ではないか?
正式な名称が壺川で、それを描きやすいようにと書いたわけではないように思います。戦前から、みなさん堂々と下の部分を亜と書いていらっしゃる。私も亜だと思ってた。ただし、下を亞と書いているものもあるので、もしかしたら壼が正式と思っていたのかもしれませんが、ちょっとわかりません。
そして、この「」字はもしかしたら地域文字かもしれません。笹原宏之先生の記事※2にもあるように、昔は那覇の「覇」の左下部分を「革」ではなく「関」の内側のように書いた例もあります。
那覇(平和通り)/平和通り : 那覇市歴史博物館より一部を抜き出し
石の橋は矼とも書かれていました。今でも
これらの例と同じく、川の文字は、ツボと読む、壷に似た別の文字なのではないかと思います。
バス会社・バスナビはどうしたら良かったのか
バス停名を(亜)にするのが本来だと思います。住民基本台帳ネットワーク統一文字や法務省戸籍統一文字には含まれているのでIVSを付けておけば表示される環境もありますし。
次善の策としては両方壷川にしておいて壺川でも検索できるようにすることでしょうか。この場合、ゆいレール壺川駅との乗り換え検索ではまりそうな気もしますが……
地域文字も琉球語同様に地域の遺産だと思います。日本側の文字に同化されてしまってはもったいないように思います。
追記: 古波蔵バス停の表記
古波蔵に行く機会がありましたので古波蔵バス停も調査してみました。ここでは「西壺川」表記でした。まったく統一されていなくてステキです。
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