那覇交通の本社があった政府前(1951-1952)
昔の沖縄の路線バス氏の記事は過去の沖縄の路線バスに興味がある人には必読の情報である。
最新記事が「移転を繰り返した那覇交通の本社」であるが、この中で「1951年4月の会社設立時の本社は那覇市美栄橋町1丁目」「これらの情報を地図に落とすと以下になるが、この赤枠で囲んだエリアのどこかに初代本社があったと思われる」と書かれている。また、引用文中では「美栄橋町1丁目政府前」とあって、現在のパレットくもじ前の県庁北口交差点付近だったことはわかる。
この辺りなら「沖縄主要地主要商工年鑑」にあるだろうと調べてみたらドンピシャである。概ね、今の沖銀本店あたりに那覇交通本社があったようだ。
1952年再販 沖縄主要地主要商工年鑑 実業と文化建設社発行 第一図より
沖縄主要地主要商工年鑑の地図は簡略化されているところがあって、たとえば上記地図の国際通りにあたる部分(税務署通り)は、まだ国際通りが拡幅・直線化される前なので左に傾いているはずが垂直に書かれている。
当時の写真
那覇市歴史博物館の写真資料には当時の政府前の写真も多数掲載されているが、残念ながら那覇交通がはっきり写った写真は見つけきれなかった。
次の写真には後に那覇交通が移転してくる沖縄運輸株式会社ビルも写っている。
那覇/久茂地 電柱の後ろに那覇警察署の建物が見える。正面は建築中の民政府ビル。/(1951頃)
那覇市歴史博物館 提供
また、久茂地町・美栄橋町が米軍から解放されたのは1951年9月なので、1951年4月当時の美栄橋町は大半が空き地だったはず。この写真でもそれが伺える。
県庁周辺/琉球政府ビルより泊方面/(1952)
那覇市歴史博物館 提供
もしかしたら、写真左端に写っているコンセット(米軍のカマボコ型兵舎)が、那覇交通の本社だったのかもしれないが確証はない。
ディスカッション
コメント一覧
まだ、コメントがありません