沖縄の昔の写真を探して(那覇タワー編)
沖縄の昔の写真を探して(長い前置き)にも書いたけど「デジカメや携帯電話のカメラが普及してからの写真は多い。だけど、1980年代以前のテキストや20世紀末の写真はあんまりない」。那覇タワーは海洋博に合わせて作られて最近は閉鎖されているんだけど*1、やっぱり20世紀の写真がほとんど見つからない(ゼファーになる前すら少ない)。
米兵・米軍属による写真は復帰後は大幅に減るし、内地の観光客の方々が思い出の写真を公開するにはまだ時間がかかるのかもしれない。
(wikipediaには那覇タワーの項目はないのに*2、なぜかウィキメディアには写真があったりする。上の写真はウィキメディアからの転載)
- *1 2014年に解体されました。
- *2 2012年に項目できました。
沿革と蘊蓄
そもそも那覇タワーがいつ完成したのかさえはっきりしない。wikipediaには那覇タワーの項目はなく、かろうじて沖縄国際海洋博覧会の項目に「海洋博開催によって(中略)、ゼファー那覇タワーなどの観光施設はすべてこれにあわせて建設された」とあるぐらいだ。archive.orgにかろうじて残っている情報によると「1972年以来、那覇・国際通りの中心的ランドマークとして多くのお客様に親しまれ」とあったりする。うーむ。
ゼファーのリリース文には「1973 年に完成し、時代と共に移り変わる国際通りを見つめ続けてきた那覇市のシンボル的な建物」となっていて、これが正しいんだろうな。あるサイトには1973年9月とある。
追記:@TOWER_FANTASIAさんの調査によると1973年6月26日開業らしい
さらに追記:「グダグダ(β) 那覇タワー開業広告」に広告内容あり
さらに追記:TOWER_FANTASIAさんが「ゼファー那覇タワー」の記事を書かれています。ゼファー時代に展望喫茶まで登ったことも含めて興味深い記事です。
開業広告
那覇タワー建築当時はタワーに隣接する西側の建物は全て立体駐車場だった。たぶん、平和通りや三越へ車で来るお客さん目当てに作られたのだろうけど、あの狭い路地では車を捌ききれず、いつも混雑していたように思う。沖縄三越に通じる通路があって、それは三越の駐車場としての用途を考えていたからかもしれない。三越の店舗の一部も那覇タワーにありました。
http://nahatower-maxy.com/docs/floorplan/foor.htmlより引用
しばらくして、立体駐車場だった部分は店舗になり、HANDY MANという東急ハンズに似たテナントになった。当時では珍しいボードゲームを売る店があり、ちょくちょく通ったものだ。
(ゲームを売る店は4F→地下と移転した。)
追記:「グダグダ(β) 那覇タワー、マキシーのテナントほか(87年)」にテナント一覧があります。
追記:CiNii 論文 – 観光による中心市街地活性化の意義と限界 : 那覇市国際通りを事例として(個人研究)によると『1982年に「マキシー・ショッピングセンター」(中略)が開店した』とのこと。琉球新報記事によると「同ビルは那覇タワー(19階)部分とコムディ(7階)部分で構成。地下2階はいずれも駐車場となっている。床面積は約1万6700平方メートル。(中略) 同ビルは不動産業の宝観光開発が那覇タワーおよび大型駐車場として建設。その後、駐車場部分をマキシーショッピングセンターに改装」となっている。宝観光開発倒産が1999年9月らしい。
以下、#沖縄懐かしい話
wikipedia:東急ハンズでは『「HANDYMAN」という類似商標の小型店舗が那覇タワー(現ゼファー那覇タワー)内のMAXY(マキシー)という商業施設に出店していたが、東急ハンズとの直接的な業務提携などはなかった』とある。間接的な提携はあった模様(1、2) 以下は、マキシーってまだあるの?から。
20 名前: 丸井より 投稿日: 2002/04/15(月) 19:11 ID:T.PFRo2U [ nttoknw02035.ppp.infoweb.ne.jp ]
沖縄三越別館のほうがいいんじゃない?昔みたいに5階で接続して.
そして,カジュアルと子ども服は別館に.
19階は三越レストランにすれば(本館7階改装)那覇タワーは合法建築に
なれる.あそこが駐車場&那覇タワーランドだった時代を知らない世代が
増えていく・・・・・・22 名前: >20 投稿日: 2002/04/15(月) 20:07 ID:.SxYZUhE [ nttoknw01002.ppp.infoweb.ne.jp ]
1979年~マキシー誕生への改装前まで4年間あったゲームセンター.
当時駐車場だった中2,3階にできた.入り口にはキングコングの
動く模型があった.
下図は那覇タワー時代のサイトに掲載されていたフロアレイアウト。マキシーの部分が駐車場だったことがわかる。東西フロア間が半階分ずれていたこと、その接続部分が階段ではなく坂になっていたのは、元々駐車場だったためだとわかる。FASHION CITY OH MY MAXY
歌があったようだ。こんぺいとう_(歌手)によると:
FASHION CITY OH MY MAXY(1992年※発売日不詳・沖縄ショッピングセンターMAXYイメージソング・店舗のみの限定販売)
FASHION CITY OH MY MAXY
太陽がいっぱいアイドル懐旧談 こんぺいとう みるくはうすにようこそ。/ウェブリブログ・Konpeitou Singlesにジャケット写真があります。
どんな歌だったのだろうか。聞いてみたいものだ。
なんとステッカーまであったらしい。すごいなMAXY。
空中写真から
国土交通省国土変遷アーカイブ米軍撮影写真から。1970/05/12となっている (ガーブ川が改修されているので1965年3月以降~復帰前なのは間違いない。参考:wikipedia:ガーブ川)。
那覇タワー建築前。大越(三越)の周辺は低層の建物が多い。そもそも大越自体がこのころは4階建てぐらいじゃないかな?
追記:大越は1970年10月10日に新装開店している。
同じく国土交通省国土変遷アーカイブ写真。1977年撮影。古き良き国際通りというか。今は無き 国際ショッピングセンターも見える。
当時の地図から
沖縄観光ニュースさんの国際通り地図。1999年以前の地図だと思う(1999年8月に閉店した山形屋が記載されている)。1996年11月に名称変更したOPAが既に載っているので、この間でしょうか。
写真など
那覇タワー以前
「沖縄映画興行伝説」によると南映劇場(南映館)が那覇タワーパーキングの位置にあったそうだ。「那覇タワー手前の通り沿いに開館した小劇場…(中略)…’71年、那覇タワー・パーキングを建設するために閉館。駐車場は後にファッションビル「マキシー」になるが、それも閉店した」とのこと。
那覇まちのたね通信に南映の写真がある(南映で検索)。南映の位置については「たから百貨店-グダグダ(β)」の地図参照。
空中写真。大越後方から。
貴重な写真。駐車場部分が建築中、タワーはまだない。良く見ると駐車場部分の窓が左右で半階分ずれているのがわかる。
奥の方、山形屋も改装しているように見える。山形屋は昔は4階建てだったようなので、このとき増築したのか?
No:C_154619に那覇市の空撮写真。那覇タワー駐車場がはっきり写ってる。タワー部分が不鮮明なんだけど、もしかしたら建築中だろうか?
1957年12月16日撮影とあるのは誤りだと思われる。1975年の沖縄 その1 那覇タワー – オニャンコポンな絵葉書たち – Yahoo!ブログ
1975年の写真。これは貴重。山形屋・三越・南西観光ホテルが写っています。
撮影場所はホテルサンルート沖縄(現クリニック安里)と思われます。当時は高い建物が少ないせいか、遠くまで綺麗に写ってますねえ。
那覇タワーランド、キングコングの写真。こんな写真がよくも残っていたものだ。素晴らしい。
MySpaceの改悪で写真が見えなくなってるので、転載しておきます。(l.jpg (600×360)からまだ見えます)「那覇タワーランド」によると、いまでは http://goo.gl/maps/1PTAJ にあるとのこと。確かに似ている…
1986年のダイナハのエレベーターから那覇タワーと沖映通り。雨のせいか、ぼんやりしている。
1980年代沖縄CM
1:17ごろにあります。
那覇タワー7FのZAVARESの写真。1989年3月17日オープンとのこと。
これはいつごろの写真でしょうね。沖縄旅行記・その1(1997年9月)
MAXY時代の那覇タワー。
1999年12月の写真。歳末クリスマスセールの模様。また、当時、MAXYにあった沖縄アクターズスクールの写真もある。
終わらない宿題(2000年2月7日)
那覇タワーとMAXY写真。ちょっと変わった角度。
★MAX館-沖縄写真(2000年5月)
MAXYの看板のみ。
8 那覇市 国際通り(2000年6月)
めずらしいMAXY店内写真。
色とりどり(2000年9月)
MAXY時代。外装の色が黒っぽい。
2000円札を使おう!(2001年8月)
MAXY リニューアルの写真がある。これは貴重だ。「復活!MAXY RENEWAL OPEN!」と書かれてる。
「2002年度にはモノレールが開業し2002年度にはモノレールが開業し」と書かれているのでその前の写真と思われる。山形屋閉店後なので2000年-2001年ごろの写真と思われる。
駐車場だったことが良くわかる作り。元々の駐車場入り口はどこだったっけ?
wikimedia掲載写真の元サイト。タワー上部に何も書かれていない時代。http://nahatower-maxy.com/ へのリンクがあること、ビル外装の色からもMAXY時代の写真だと思う。
このサイトには「この建物に隣接するマキシーには、沖縄アクターズスクールが有るとか有った」という情報が書かれている。
COM*D移行直前の那覇タワーWebサイト
COM*Dになったのが2003年10月26日だったことがわかる。
COM*D時代のWebサイト。今では comd.jp は別の会社のドメインになっている。
沖縄のフィルム施工実績(有限会社クリーン企画)
那覇タワーの外装を工事した会社のWeb。そうか、このときに外装の色が変わってるんですね。
C:3 美栄橋~首里~前島(2003年9月7日)
改装の案内。
【国際通り~夜】(2006年8月)
光る那覇タワー。
Okinawa soba museum / 沖縄そば博物館 2006/12/16
内部写真。元駐車場だったため傾斜がある。
那覇タワーは、まだ・・・・・(炭王的頁 2007年3月4日)
那覇タワーから駐車場側ビルの上を見た写真、非常階段の写真など。
ゼファー那覇タワービルと書いてあるけど写真はまだCOM*Dの文字の残っている那覇タワー。このサイトの記述では「高さ:83m(元沖縄第1位) 階数:地上19階・地下2階 床面積:19,155㎡ 完成年:1973年5月(開業日が6月26日と判明)」となっている。
(コメントを元にリンク先・情報を訂正しました)ゼファーが再生するとの記事。記事写真はCOM*D。
「2001年にコンパドールが土地と建物を購入。03年に複合型ファッションビル・コムディとして再オープン」とある。沖縄最終日(くろとんの驕り 2006/9/17)
国際通りから見た那覇タワー。COM*Dのまま。
ゼファー那覇タワー(三線やーナビィ三線のうちなーたいむ 2006年10月19日)
ゼファー展望台からの夜景、エレベーターのテナント一覧など。
撮影時期不明。最近の写真のような気もするがCOM*Dの文字もゼファーの文字も無い。
撮影時期不明。COM*Dの文字あり。
Naha Tower blg | Flickr – Photo Sharing!
ゼファー時代。2008年。
那覇市「ゼファー那覇タワー」 – 超一等地の国際通りにそびえる廃墟ランドマークビル
2013年記事。
追記
追記:那覇タワーの記事が久しぶりに紙面に。解体されちゃうのかなあ…
- 那覇タワービル売却 ゼファー、民事再生手続き終結 – 琉球新報
- 「イントランスは転売を検討しているが、建物が老朽化しているとして「解体は必要だろう」と再開発の可能性も探っている」
追記:@TOWER_FANTASIAさんがいろいろ調査している
那覇タワーはとにかく謎が多すぎる。最初の所有者である宝観光開発が1999年に破産したあと少なくとも4回転売されている。ゼファーが所有していた2008年に登ったことがあるが、現在はイントランスという会社に所有が移り、ビルそのものは全館閉鎖中のようだ。
— TOWER FANTASIA (@TOWER_FANTASIA) January 15, 2012最上階は回転展望レストランだったが店舗自体はころころ変わっている。ごく一時期だけ有料の展望台として営業したこともあったらしい。私が登ったときは昼は喫茶店、夜はバーを同一箇所で違う店が共有しながら営業するという不思議なスタイルだった。
— TOWER FANTASIA (@TOWER_FANTASIA) January 15, 2012こんなふうに凄まじいくらいに所有者も店舗も入れ替わっているのでまともな記録なんて残ろうはずがない。完成した年も1971年説と73年説がある。ひとつ確実にわかっているのは設計者が金城信吉氏という沖縄では有名な建築家だということ。氏の作品集が国会図書館に所蔵されているので要調査だ。
— TOWER FANTASIA (@TOWER_FANTASIA) January 15, 2012@zu2 どうも初めまして。リンクして下さった「ず's」のエントリは拝見したことがあります。那覇タワーは文献資料も少ないですがWEB上の情報も本当に少ないですね。観光施設ではなくて民間の雑居ビルでしたから実態の解明はかなり難しいように思います。今後も新発見し次第ツイートしますね。
— TOWER FANTASIA (@TOWER_FANTASIA) January 16, 2012今日は朝からずっと図書館漬け。まずは国会図書館で那覇タワーの開業日を特定すべく沖縄タイムスのマイクロフィルムを閲覧。結果、1973年6月26日ということが判明した。全面広告は載っていたけど記事にはなっていなかった。やはり観光施設ではないただの民間ビルだからか。
— TOWER FANTASIA (@TOWER_FANTASIA) January 17, 2012宝観光開発は当時、宝不動産合資会社と称し、タワーはおそらくその子会社であろう株式会社那覇タワーが管理運営していた。もともとは道路事情の悪化から都心部に収容力の大きな駐車場の設置が急務とされ、宝不動産が立体駐車場を造ることにしたというのが発端だったようだ。
— TOWER FANTASIA (@TOWER_FANTASIA) January 17, 2012つまり那覇タワーは実は駐車場をメインとする建物で、展望台やテナントビルはついでの存在だったと言っても過言ではない。ちなみに那覇タワー直営のフロアは17〜19階の回転展望レストランと、7階のレストラン・宴会場だけで、あとはテナントを入れていた。ただしテナントの内訳はわからない。
— TOWER FANTASIA (@TOWER_FANTASIA) January 17, 2012マイクロフィルムを見ていて1973年5月23日の広告欄に偶然発見した物件がある。浦添市港川にあった和光ビルだ。最上階の10階「カクテルレストラン・スカイルーム」の広告には、どう見ても展望塔に見えるイラストが描かれていた。ググってみるとやはりタワーらしい外見の写真が1件ヒットした。
— TOWER FANTASIA (@TOWER_FANTASIA) January 17, 2012那覇タワー最上階の回転床がテレビ番組の企画の一環で2004年8月に1日限りの復活運転をしていた! これはビッグニュースだと思って一瞬色めき立ったが2ちゃんねるの「架空の番組表」スレッドの話題だとわかってがっかり。
— TOWER FANTASIA (@TOWER_FANTASIA) March 8, 2012今朝の那覇タワーの回転床復活のツイートをお気に入り登録されてる方がおられますが、100%フィクションの話ですのでくれぐれもご注意のほどお願いいたします。
— TOWER FANTASIA (@TOWER_FANTASIA) March 9, 2012HANDYMANの話
パクリではありません。東急ハンズと提携していました。RT @jugemax: 「東急ハンズ」のパクリの?「ハンディマン」 #沖縄懐かしい話
— 花猫風月 (@shigerootbeer) August 14, 2011「間接的」だったのでしょうね。ハンディマンで働いていた人に会ったら訊いてみます。気長にお待ちくださいRT @zu2:wikipediaには「東急ハンズとの直接的な業務提携などはなかった」になってる。wikipediaの間違いかな? RT 東急ハンズと提携していた。#沖縄懐かしい話
— 花猫風月 (@shigerootbeer) August 15, 2011那覇タワーの建物部分の不動産登記簿謄本を今度こそ取得した。抵当権が何重にも設定されていたり差押だの競売だの所有権移転だのと、記載事項がやたらに複雑なんだけど、所有者の移転についてはおおむね拙サイトのゼファー那覇タワーの概略欄で書いた通りの変遷だった。
— TOWER FANTASIA (@TOWER_FANTASIA) July 24, 2012まず宝観光開発が1999年に破産したあと、競売によってコンパドールが2001年に取得。その後2005年に通常の売買で大里総合建材の所有に。さらに通常の売買で2006年にゼファーの所有となった。昨年、イントランスに転売されているはずなのだが登記簿には記載がないのが疑問ではある。
— TOWER FANTASIA (@TOWER_FANTASIA) July 24, 2012登記簿の「権利部(甲区)」の最初の記載は所有権の移転で、1989年に持分65%が高良定尚氏、18%が合資会社那覇給油所、17%が合資会社那覇自動車学校の所有となった。このときの売り主がたぶん宝観光開発なのだろう。高良定尚氏は宝観光開発の代表取締役である。
— TOWER FANTASIA (@TOWER_FANTASIA) July 24, 20121998年に相続によって高良定尚氏の持分は宝観光開発破産当時の代表取締役である尚英氏に移転。この年すでに那覇タワーは那覇給油所、那覇自動車学校の持分も含めて差押の処分を受けており、那覇地裁によって競売開始が決定されている。給油所と自動車学校は現存しないようだが宝グループの企業か?
— TOWER FANTASIA (@TOWER_FANTASIA) July 24, 2012そんなわけで登記簿からはこれといった新事実は見出せなかったわけだが、時系列がある程度はっきりしたことだけでも収穫と考えておくことにします。拙サイトの記述もそのうちこっそり直しとこ。
— TOWER FANTASIA (@TOWER_FANTASIA) July 24, 2012
追記:追記2:那覇タワーのポスター
那覇タワーのポスターがカッコよすぎてもう http://t.co/If71sUKZQv
— sayami (@hidaguchi) May 14, 2014追記3: 三越と合わせて再開発されるのだろうか?
ランドマークになるような建物になるといいんだけど。
追記3: 解体されました
解体中(2015/02/12)。
那覇タワー・マキシーだったところは駐車場になっています(2016/06/05)。
隣の建物の謎のでっぱりはなんだろう?
三越の裏側。那覇タワーとの連絡通路があった場所がうっすらとわかります(2016/06/05)。
リンク
- グダグダ(β) 病院通り(牧志)(「那覇タワー前の通りもかつて病院通りと呼ばれていた」そうです)
- 今はあるかなこの店:うちあたい(那覇タワー内店舗の販促用マッチの写真)
参考資料
ディスカッション
コメント一覧
ついに解体が始まるようで、今はアスベスト撤去作業をやってるそうです。なので、足場がどうなっているかなとか見に行くことはできませんね。
三越閉店のころには7階一部10階の駐車場部分から解体に取り掛かるそうです。
中学の頃は回転展望台に憧れて、高校時代はその同じ回転展望喫茶店で、ラブホにありがちな「あしあと帳」に彼女と書こみして喜んで、高校卒業時には彼女がその展望台のキャバクラで働いてデート代を捻出してくれ、浪人の頃はその彼女にお金もらいつつ、モルビーやイエロー、ザバレスで遊びまくるという、人でなしになっていく思いでしかないなあ…
1:17あたりに懐かしいマキシー時代(初期)の那覇タワーが。
ちょこっとしか出てこないけど。
http://www.youtube.com/watch?v=TO4lP7E4sAE&feature=plcp&context=C4ff5ca6VDvjVQa1PpcFN-_jZ3-6_6IFGjBWt-xYW84IaatIGLqHg%3D
>ゼファー那覇タワービルと書いてあるけど写真はまだCOM*Dの文字の残っている那覇タワー。このサイトの記述では「高さ:83m(元沖縄第1位) 階数:地上19階・地下2階 床面積:19,155㎡ 完成年:1973年9月」となっている。
この項目は、「沖縄県ビルギャラリー: からやのブログ」に移転いたしました。統一お願いします。古いページは@Homepageサービス終了と同時に消滅の予定です。
なお、完成年も6月26日オープンを確認いたしましたので、こちらでも訂正しております。