名護バスターミナルができる前の名護大通り(1952)
何度も書いているように、昔の沖縄の路線バス氏の記事は過去の沖縄の路線バスに興味がある人には必読の情報である。
その最新記事が「名護バスターミナルの歴史」である。文中で、名護バスターミナルが設立される前は昭和バスと沖縄バスが営業所を設置していたが、詳細な場所は不明とのこと。
初代バスターミナルが設置される以前は、昭和バスと沖縄バスがそれぞれ別の場所に営業所を設置し、同じ行き先だったとしても、それぞれの営業所からバスが出発する方式だった。なお沖縄バスの名護営業所(名護支店)は、現在の名護十字路付近に設置されていたようだが、詳細な場所は不明である
いつものように「沖縄主要地主要商工年鑑 1952年版」で調べてみた。1952年版ではまだ昭和バスは無く、合併前の三共バス・新垣平尾バスになっている。
1952年再販 沖縄主要地主要商工年鑑 実業と文化建設社発行 第五十一図より
現在のどのあたりなのか
51図には名護映画館・文化劇場がある。『沖縄映画興行伝説』 沖縄北部にあった映画館 PAGE:3(’52〜’53)に位置もしめされている。
名護映画館は位置関係からすると名護映画劇場のことで、現在のカーサ名櫻の位置だったと思われる。してみると、沖縄バスがあったのは、HAN’S隣の空き地であろうか。
同様に文化劇場・南宝館から新垣平尾バスは現在の神山薬局のあたりだと思われる。ただし、沖縄主要地主要商工年鑑の図では道路が丁字路2つになっているが、現在では十字路である。道路の移動があったとすれば、もう少し北西側かもしれない。
実際、1971年に撮影された国土交通省の空中写真(MOK701X-C11-11)では、十字路部分が工事中のようにも見える。
三共バスの位置は難しい。名護十字路から北西に進んで最初の交差点の角なのだが、現在と道路が同一なのかがわからない。素直に解釈すれば上江州茶店のあたりだが、前述の国土交通省写真では、現在の市場を横切るように道路らしきものが見える。これは、現在市場奥に入る通路に相当すると思われる。
当時の写真
沖縄バス・新垣平尾バスは ひんぷんがじゅまるの近くなので写真に写っていそうだが、見つけることができなかった。追記: 見つけました!
例えば、Color Slides – Northern Okinawa – Nagoの18番目の写真は、ひんぷんがじゅまると丸長商店が写っているので、斜め向かいの丸八レストランあたりの位置に沖縄バスがありそうだが、それらしきものは無い。撮影年代が遅く、名護バスターミナルへの移転後なのだろう。
追記:
flickerにm20wc51さんが投稿されている写真「2021-10-13-0008 | Okinawa , 1950-52 photographer unknown | m20wc51 | Flickr」が新垣平尾バスのターミナル付近の写真です。撮影年代は「Okinawa , 1950-52」と書かれています。撮影時期(駐留期間)は正確だと思います。
車両を拡大すると「新垣平尾バス自動車株式會社」、写真右手奥に「ひんぷんがじゅまる」、その左に「がじまる食堂」があります。右側のパーマ屋さんは「沖縄主要地主要商工年鑑 1952年版」の「若草美粧院」でしょうか。
バスの左側には「?らか? ?尾 バ??」と読める看板があり、その奥にもバス車両が写っています。
看板がかかっている建物がバス待合所で、バスターミナルはこの商店横の道路から入った裏手にあったものと思われます。
新垣平尾バスって緑色だったんですね。バスの行き先表示は「?名??行」と読めるのですが、どこだろう。
2021-10-13-0014 | Okinawa , 1950-52 photographer unknown | m20wc51 | Flickrは上記写真位置から反対側(西側)を撮影した写真です。沖縄主要地主要商工年鑑の記載通りに「平和食堂」「朝日湯」「山入端菓子店」「時計店」が見えます。「旅館厚養館入口」の看板、奥に理容館。左側にはCocaColaの黄色いトラック、奥には沖縄バスらしき車両も見えます。
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