1954年:ペプシコーラ発売パレード

2016/04/19wbm, 沖縄, 沖縄の昔の写真

1954年11月、与那城飲料水会社(YONAGUSUKU BEVERAGE)がペプシコーラを発売しました(日本本土よりも早い)。
新聞。ラジオ等で大量の宣伝が行われたそうですが、その一環として宣伝カーが本島内を走ったようです。

以下はそのパレードの写真を元にした動画です。

Circa 1954 KSAR Pepsi Parade – Field Research – IN SEARCH OF "BLACKIE THE PHOTOGRAPHER" – YouTube

上記動画の元になった写真をWbm Bradford氏に提供いただきましたので、パレードの日時・場所等を推測してみます。
提供いただいた写真及び動画のブログへの掲載・改変・利用にあたっては著作権者であるWbm Bradford氏より許可をいただいています。転載等はご遠慮ください。

与那城飲料会社の設立・販売日時

1954年11月17日に工場開設、20日より販売開始。

ペプシコーラー落成式賑わう

ペプシコーラー(興那城飮料水会社)の店開きは十七日午後三時から牧港の新装なった同社で琉米の政府高官、在沖米商業会議所の会員等数百名の来客が参加して行われた。

沖縄新聞 1954年11月18日

昔はコーラーって発音してましたよねえ。いつからコーラになったんだ。

大童のセンデン きよう賣り出すペプシコーラ

さきごろから、新聞やラジオによるケタはずれの宣伝で、話題をよんでいるペプシコーラ(与那城飲料水会社)は十七日午後工場開きを行ない、いよいよきようから発売にかゝることになつた。

沖縄タイムス 1954年11月20日朝刊

工場内の写真と思われます。琉球新報・沖縄タイムスからの花輪が見えます。

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宜野湾市大山にあった工場。これを覚えている人はおじさんでしょうか…

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パレードの日程

琉球新報・沖縄タイムス・沖縄新聞にはパレードに関する記事は見当たらなかった。
開店と前後して島産品愛用週間があり、そちらの宣伝カーについては記事・写真が掲載されている(島産品愛用パレードと一緒にペプシパレードを行ったわけでも無いようだ)。

新聞ではわからなかったので、写真から日付が判定できそうな要素を探してみます。下記写真は千歳橋通り(浮島通り)から神里原方向に撮影したもの。丸国マーケットのところに映画広告が見えます。

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OpenStreetMap®を元に作成。© OpenStreetMap contributors

Wbm Bradford氏に映画広告部分を拡大していただきました。映画は「たん子たん吉珍道中(第二部)」と「トラン・ブーラン 月の光」です。月の光は一部しか見えませんが監督・俳優から確定できます。

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この2本の映画は神里原の大洋劇場にて11月18日から22日まで上映されていました。与那城飲料会社の販売開始日(20日)はこの期間に含まれています。

本日堂々大公開!

トラン・ブーラン 月の光
たん子たん吉珍道中 豆狸忍術合戦

大洋劇場

琉球新報 1954年11月18日朝刊

下写真には普天間琉映館が写っているそうです(cf. 當間 早志 – 前に紹介した動画の写真、「Blackie San…)。私にはわかりませんでした。すごいです。

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OpenStreetMap®を元に作成。© OpenStreetMap contributors

広告部分の拡大。映画は「黒い潮」。俳優は「津島恵子」「左幸子」でしょうか。ゆがんで見えるので、看板ではなくて垂れ幕なのだと思います。

「黒い潮」は大洋劇場にて1954年11月7日から11日まで上映されていたようです(沖縄タイムス広告より)。残念ながら普天間琉映館での上映広告は見つかりませんでした。
普天間での上映は那覇よりは後のはずですので、写真の撮影時期はペプシコーラ発売開始ごろと考えても矛盾はないように思えます。

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日付情報が得られたのは上記2写真です。いずれもペプシコーラ発売開始時期(1954年11月20日から22日の間)と考えて矛盾は無さそうです。

撮影場所について

いままでに紹介した写真は工場開き(宜野湾市大山)、千歳橋通り(那覇市)、普天間神宮近く(宜野湾市)の三箇所でした。

この他にも撮影場所が特定できる写真があります。

下写真は那覇市神里原。奥に大洋劇場が見えます。パレードはこのまま千歳橋通りに進んだのでしょう。

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下写真は那覇市内の現沖縄銀行本店前から琉球政府ビル方向を撮影。左側に現おきなわ屋の建物が見えます。この建物もとうとうなくなってしまうと報道されました(国際通りの玄関ビル解体 新ビルも沖縄企業にしか貸さない理由 | 沖縄タイムス+プラス)。

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上の写真から少し進んで、下写真は御成橋から琉球政府方向を撮影。旧琉球新報・旧リウボウが見えます。
琉球新報隣の建物にはコカコーラの看板がかかっていて、もしかしたらわざと重なるように撮影したのかもしれません。

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下写真は嘉手納ロータリーです。ロータリー内部で馬が草を食べていたりしてずいぶんのどかな写真です。
「糸満屋 電話カデナ三十三番」の看板があり、嘉手納だとわかります。
撮影方向はわかりませんでした。当時の地図と比べても同じ建物が見つかりません。

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ゼンリン住宅マップ ’70 沖縄市・嘉手納村に写真に写っている建物が存在しました。
国土交通省航空写真(1977年撮影)に大まかな建物位置と撮影方向を記入してみました。

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下写真はスリーブに「嘉間良より胡差向け、富名腰医院前より」とあり、看板にも沖縄酸素工業所胡差販売所と読めそうな看板がありますのですコザだと思いますが、特定できませんでした。
(コザ付近の富名腰医院は、現在は安慶田の近くにあるのですが、そこだと地形が合わないと思います

右手後方の大岩が現コリンザ付近にあった岩なら、ゲート通り(空港通り)から北向けに撮影したことになるのですが、確証はありません。
(この場合、左側は航空隊(現嘉手納基地)になり、それっぽい雰囲気ではある)
企業/ペプシコーラ 宣伝カー : 那覇市歴史博物館にに同じ写真が収蔵されているが、撮影地の記載なし)

沖縄市越来字誌(越来共有会) P.347下に同一写真が掲載されていました。「住吉、室川から胡屋への大通り」とあります。
目で見る沖縄・宜野湾・具志川・石川・中頭の100年 : 写真が語る激動のふるさと一世紀(郷土新聞社) P.71中段にも同一写真があり、「ペプシパレード(沖縄市、昭和30年頃)。安慶田大通り(現国道330号)を行くペプシコーラの宣伝パレード。写真奥が胡屋方面、道の左右にあるすずらん型の電灯は、手前側コザ十字路まで設置されていた」との説明。

いずれにせよ、現在の富名腰医院前(沖縄市安慶田)からの撮影で良さそうです。すると、左上奥に写っている米軍基地らしき建物は現沖縄市役所付近にあった米軍キャンプでしょうか。

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OpenStreetMap®を元に作成。© OpenStreetMap contributors

参考:上写真とは逆に、胡屋十字路からコザ十字路方面の空撮写真。
現沖縄市役所付近から330を超えて嘉間良のあたりが米軍キャンプになっているのがわかります。

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下写真は、信仰舎、MID LIFE助産婦 石嶺和子?、鉢嶺??、山乃端洋裁店などの看板が見えます。
電話帳によると山乃端洋裁店は樋川(開南バス停付近)に、石嶺初子助産婦は重民町・若狭にあったようです。

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追記:那覇まちのたね通信に山乃端洋裁店が写っている写真がありました。同一看板ですね。開南と考えて良さそうです。

撮影日時:昭和35年(1960) 9月24日
所有者:NPO法人ちゅらしまフォトミュージアム 昭和35年(1960) 9月24日 開南の大通りで遊ぶ子供
配信元:那覇まちのたね通信
事業主体:NPO法人ちゅらしまフォトミュージアム・地域情報エージェント株式会社

撮影方向は開南バス停から開南中央通りを下ったところですが、山乃端洋裁店の位置がはっきりしません。
下の地図は電話帳の住所を元にしています。那覇まちのたね通信では撮影地点はもっと北側に描かれています。

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OpenStreetMap®を元に作成。© OpenStreetMap contributors

撮影場所のわからない写真

以下は撮影場所のわからない写真です。場所がわかる方がいらっしゃいましたら教えていただけると助かります。

材木店があり、大勢の子供がいます。ひめゆり通りに似ているようなそうでないような。後ろに写っている看板(糸数自動車板金)や沖縄バスの行き先表示から割り出したい。
企業/ペプシコーラ 宣伝カー : 那覇市歴史博物館に同じ写真が収蔵されており、そちらには「糸満?」とある。

電話帳によると糸数板金工業が安里にあったようだが、場所を特定できるだけの情報はありません。

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和互社、平永商会、歯科などの看板が見えるが場所不明。電話帳によると和互社は那覇4区15組・牧志・前島に、平永商会は松尾にあったようですが場所を特定できません。
(グランドオリオン通りに和互社・平永商会の支店があったようだが、写真とは位置関係が合わないように思われる)

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パレードの移動コース

那覇市内はわかりやすい。大洋劇場前から神里原大通りを通り、そのまま千歳橋通りから浮島通りを抜け、国際通りを左折、政府前交差点を右折し一号線(現58号線)へ抜けたのだと思われます。
残りの写真については前後関係が推測できません。場所不明の写真が解読できれば推測できるかもしれません。

(追記:上記ルートだと開南の写真が謎ですね…… 千歳橋通りから開南中央通りに入ったのかな?)

KSARとABC

写真内にKSARと書かれた車と、沖縄放送ABCと書かれた拡声器が写っています。KSARは現琉球放送なのですが、ABCがよくわからない。
KSAR,ABC共に新聞に番組表がありましたので、当時のラジオ放送局だと思うのですが……

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コメント欄にてからやさんから沖縄ABC放送社の存在を教えていただきました。ありがとうございます。
会社名がストリートビューに写っていました。

その他

この頃は車を連ねてパレードするのが流行っていたようで、ペプシの他にも県産品愛用運動や商工祭などのパレードが各地で行われていたようです。
まだまだ車も少なかったころですし、人気のコンテンツだったのかも?

今ではパレードが見られるのはスポーツの優勝記念ぐらいでしょうか。

沖縄ペプシコーラの歴史によると、「販売開始直後から試供品提供、いわゆるサンプリング作戦を島内くまなく展開、更にラジオのCM放送により知名度を増し、コカ・コーラの販売量を崩していった」とのことですので、パレードしながら試供品を配っていたのかもしれません。子供が大勢集まっている様子も写っています。

参考リンク