沖縄県「平成31年度地域間幹線系統確保維持計画素案」について

2018/06/19沖縄のバス

沖縄県のページに「平成31年度地域間幹線系統確保維持計画素案策定」についての意見募集がありました。意見募集はとうに終わっているのですが、この中の素案に示された路線が戦後すぐの公営バスを思わせ、興味深いのでメモしておきます。

運行を確保・維持する運行系統

H31計画素案の中に、運行を確保維持する(必要がある)バス路線の一覧が載っています。文書中には7路線の赤字額(計2.1億)も記載されています。



この7路線、なんだか見覚えがあります。実は、沖縄の最初の公営バス路線に含まれていた系統が多いのです (参考:1947,1949年の公営バス路線図(沖縄公文書館) | ず@沖縄)。

1947年のバス路線は下表の通り。今回対象の名護東線は第二名護線+瀬嵩線の末裔ですし、玉泉洞糸満線・志喜屋線は島尻線の派生、辺土名線・本部線・与勝線はそのまんまです。

結局、最初の公営バス路線のうち今回の維持対象になっていないのは第一名護線(名護西線)だけです。

第一名護線知念-南風原-那覇-嘉手納-名護
第二名護線知念-西原-胡差-古知屋-名護
辺土名線名護-塩屋-奥間-辺土名
本部線名護-渡久地-大井川-我部祖河-名護
瀬嵩線

知念-西原-知花-久志-二見-瀬嵩
与勝線知念-南風原-首里-胡屋-安慶名-具志川-屋慶名
島尻線

知念-南風原-那覇-糸満-港川-百名-知念
(このころは沖縄民政府・琉球列島米国民政府が南部にあったのでバスは知念発になっています。1949年には那覇発に変更)


これらのバス路線が設立されたころは、通勤・通学だけではなく商売の足としてもバスが使われていました。そのころの主要な顧客がそのまま高齢化し、ついにバスにも乗らなくなったのが衰退の原因だと私は考えます。古い集落を通る路線が多く、新規顧客を呼ぶのも難しいし。

どうやって維持するのか

資料には以下のように書かれています(名護西線を例にしましたが、記載内容は全路線でほぼ同じです)。目新しいのは「貨客混載」と「急行化」でしょうか。那覇〜コザ間でも急行化は進められていますし、やってみる価値はあるのかな?
(でも、急ぐなら高速バス乗るよね、普通)。


沖縄の公営バスは、初期の頃は郵便物を運ぶ手段としても使われていました。そこから70年の時を経て、また貨客混載に戻るのは先祖返りのようでもあります、。

沖縄のバス

Posted by ず@沖縄