1950年の沖縄バス路線図
沖縄バスのfacebookにて、沖縄バス設立当初(1950年)のバス路線図が公開されていました。公文書館にある1949年の路線図と比較したところ、微妙に差があります。
【沖縄バス/アーカイブスVOL.156】
~設立当時の路線図☆~
当社が設立された1950年(昭和25年)当時に作成された手書きのバス路線図☆当社が運行するバス路線網の原点になっていますね~#沖縄バス #沖バスアーカイブス https://t.co/iBbyeQp9jD— 沖縄バス株式会社 (@okinawa_bus) December 15, 2015
(リンク切れてるようです。ここから参照できます: 沖縄バス株式会社 – 投稿 )
公文書館資料
1949年11月23日現在のバス路線図※1、1947年7月28日の予定路線図※2があります。
- ※1 郵便逓送用専属車両配置御願いについて 資料画像 (R00000439B)
- ※2 Establishment of an Okinawa Bus System. 資料画像 (RDAP000005)
路線の違い
ざっと目についたところをメモしておきます。始点は那覇になっていますが、公営バスと同じく安里(栄町)始点のはず。
4番石川線、13番読谷石川線は循環線のようですが、矢印表記の意味がわかりません(14番も)。下の表には仮に経路を書いておきます。
1.名護東線 | 那覇-与那原-胡差-栄野比-金武-許田 | 公営バスは終点名護 |
2.久志線 | (宜野座村)松田-久志-瀬嵩-嘉陽 | 公営バスは始点安里。安里〜松田間は名護東線と重複しているために廃止されたと思われる |
3.与勝線 | 那覇-首里-普天間-安慶名-平安名-屋慶名 | |
4.石川線 | 北谷-瑞慶覧-川崎-安慶名-栄野比 | 公営バスは那覇〜石川間の循環線 |
5.名護西線 | 那覇-嘉手納-名護 | |
6.読谷線 | 嘉手納-高志保-喜納 | 新設 |
7.島尻一周線 | 那覇-糸満-具志頭-知念-佐敷-与那原 | 新設 |
8.東風平線 | 国場-東風平-高嶺-糸満 | 新設 |
9.辺土名宜名真線 | 名護-伊佐川-大宜味-辺土名-宜名真 | 旧宜名真線と同じルート |
10.本部半島線 | 名護-屋部-渡久地-今帰仁-伊差川 | 公営バスは一周線、終点も名護 |
11.平良線 | 大保-平良-川田-宮城 | 公営バスは始点名護、終点平良 |
12.伊豆味線 | 名護-為又-伊豆味-渡久地 | 新設 |
13.読谷石川線 | 高志保-山田-仲泊-伊波-知花-嘉手納 | 新設 |
14.前原線 | 普天間-中頭-喜舎場-渡口-高原-第二泡瀬-南風原-病院前 | 新設。南風原はうるま市南風原 |
公営バスの経路はほぼ踏襲されていますが、南部の東風平〜具志頭や新里〜百名を通る路線が無くなっています。親慶原の米国民政府(USCAR)、佐敷の琉球民政府が1949年に那覇に移転していますので、そのせいで南部の路線が減ったのかもしれません。
乗り換え前提で分割・統合された路線がいくつかあります。
疑問点など
公営バスでは安里以外に那覇という地名があったが、この図では那覇に統一されている。那覇は大塗りされていて細かい場所が不明だがたぶん安里(栄町)を指しているはず。
14番前原線の病院前は沖縄中央病院(現沖縄県立中部病院)だと思いますが、このころはどこにあったのでしょうか。病院概要| 沖縄県立中部病院では「昭和21年4月21日 具志川村(現うるま市)よりコザ市へ全員移転し、沖縄中央病院として開設」「昭和26年10月コザ市(現在の沖縄市)字胡屋の私有地に病院建設」とあり、具体的な位置がわかりません。
久志線が松田発ですが、これは後年久志バスターミナル発になったはず。いつごろ変わったのだろうか。
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