栄町大綱引きの写真 (1951年)

2016/09/13wbm, 沖縄, 沖縄の昔の写真

今では栄町は小洒落た飲食店もある場所。大勢の観光客が訪れている。
しかし私が学生のころは市場と怪しげな旅館のある界隈であり、あまり足を踏み入れたことはなかった。隔世の感がある。

その栄町復興期に行われた大綱引きの写真をWbm Bradford氏に提供いただきましたので、日時・場所等を推測してみます。
提供いただいた写真のブログへの掲載・改変・利用にあたっては著作権者であるWbm Bradford氏より許可をいただいています。転載等はご遠慮ください。

現在の地図

現在の栄町の地図。那覇の旧市街地にしては珍しく道路が碁盤目状になっている。
区画整理されている場所は那覇市内に何箇所かあり、戦後米軍が接収していて後に解放された土地であるか近年開発された場所である。栄町は前者。

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OpenStreetMap®を元に作成。© OpenStreetMap contributors

現地に貼られていた案内図。矢印で示した角切りされている交差点が栄町ロータリー。栄町ロータリーは旧一高女の講堂に当たる。

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栄町の成立

以前「那覇市の戦後の密集市街地と真和志市」に書いた通り、戦後の旧那覇市は米軍が旧市街地を接収したままであったため、捕虜収容所から戻ってきた人々は一部解放されていた壺屋や牧志、そして隣接する真和志村に流入していった。

元々農村であった真和志村にその数倍の人口が流入して無秩序に宅地化(スプロール)。当時の真和志市長により、人口が急増した真和志を沖縄の中心とすべく都市計画が行われ、米軍から解放された旧沖縄師範学校女子部・沖縄県立第一高等女学校跡地とその付近を区画整理し、一般に開放した。市場も劇場やバスターミナルもできた。しかしながら段階的に旧市街地が開放された那覇市は商業地として発展し、政府機能も那覇に置かれてしまう。

結局、栄町には料亭や旅館・飲食店が集中し、沖縄に戦後初の社交街が成立することになる。後に料亭も開放された辻町に移転してしまい、残ったのが歓楽街である。私が学生のころに見たのはこの時代の栄町である。

詳細は那覇 ― 戦後の都市復興と歓楽街が詳しい(この本はオススメです)。


栄町大綱引き

wbm氏に提供いただいた、栄町復興後まもない時期と思われる大綱引きの写真。左後方に「料亭?かふじ」と読める看板。右側は産婆、酒類と読めそうな看板もある。

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これは現在の栄町ロータリーでの撮影だと思われる。撮影方向は「おでん東大」のある角から対角側。
看板は多分「料亭わかふじ」であり、ロータリー角にL字型の建物だったように見える。

当時の地図についてはグダグダ(β) 栄町(52年) 4を参照のこと。

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OpenStreetMap®を元に作成。© OpenStreetMap contributors



綱引きの場所を撮影してきました。正面のビルが「わかふじ」だった場所だと思われます。
綱引きの写真の方はずいぶん広い道に見えるが、当時の道路は歩道がありません。また建物も平屋かせいぜい二階建てで圧迫感がないのも広く見える要因だと思う。


こちらは上の写真からやや左方向を撮影した写真。写真右の旗頭(はたがしら)※1の陰に「料亭わかふじ」の小看板が見える。

※1 「豊年祭や綱引き行事に用いる幟(のぼり)の一種」。旗頭 (はたがしら) – 琉球新報より。

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那覇まちのたね通信にも栄町大綱引きの写真がある(元は那覇市歴史博物館所蔵の祭り/栄町綱引き)。

上記写真と同様に「料亭わかふじ」の看板が見え、ほぼ同一地点から少し向きを変えて撮影したものと思われる。
残念ながら撮影日時不明。上のBlackieさんの写真と同じ日に撮影された可能性は高いが、確証はない。


撮影日時:不明 / 所有者:那覇市歴史博物館
那覇市歴史資料室収集写真/戦後
配信元:那覇まちのたね通信
事業主体:NPO法人ちゅらしまフォトミュージアム・地域情報エージェント株式会社

真和志村栄町区の大綱引 : 那覇市歴史博物館にも大綱引きの写真があり「栄町発足1周年記念行事。/(1951/05/20)」と書かれている。旅館と書かれた看板が見えるが場所は不明。

こちらは現在の写真。建物が高いのと歩道があるせいで道幅がかなり狭く見えます。とても同じ場所には見えません。


大綱引きのイベント?

同時に行われた行列だと思われる。左に「みはる」、右に「丸高旅館」の看板が見える。

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撮影場所は栄町ロータリーから西に進んだ突き当たり付近だと思うが、わかふじが写っている写真奥の建物と丸高旅館は違う建物に見える。
斜め方向に撮影しているために写っている写真が違うという推測で地図を起こしてみた。もしかしたらもう一路南側の道路(栄町通り)かもしれない。
追記:栄町通りが正解でした。これも含めて記事を書く予定)

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OpenStreetMap®を元に作成。© OpenStreetMap contributors



丸高旅館は安里橋大通りと現国道330号線の間にあった。現在の安里駅の近くだと思われる。

現在の安里駅がある箇所は69年では店が立ち並んでいます。どういうことかというと、もともと330号線は鉄道路で道路ではなく、沖縄劇場通りは安里橋からくる普通の道でした。戦後鉄道は再建されず道路になりましたが、安里交差点は変形五叉路のような形をしていたわけです。69年時点ではまだこの名残があります。

建物はほぼ入れ替わり、安里駅もできたので随分雰囲気が違います。


新聞記事

栄町での大綱引きに関する新聞記事です。後者は写真の情景をありありと描いているように思えます。

祝榮町 一周年記念

沖縄タイムス1951年5月20日(広告)

街にあふれた 榮町一周年 熱狂に揺れる大綱

(略)
東は大黒様 西はミロク佛をかゝげ騎馬武者もあり、山車の中では料亭旅館から繰り出した浴衣に花笠姿の女たちが四つ竹も割れよとばかり踊り狂い
(後略)

沖縄タイムス1951年5月21日

おわりに

写真は栄町市場一周年(1951/05/20)の大綱引きの祭に栄町ロータリーとその近辺で撮影されたものと思われます。

今の栄町ロータリーの道幅を知っていると、あの場所で大綱引きができたとは考え難いけど、昔は国際通りで大綱引きしていたわけで、できないことはないのか……

参考文献・リンク