続: 栄町大綱引きの写真 (1951年)
栄町大綱引きの写真 (1951年) の続きです。
Wbm Bradford氏から、さらに栄町大綱引き関連の写真を提供いただきましたので、前回記事を補足・訂正いたします。
提供いただいた写真のブログへの掲載・改変・利用にあたっては著作権者であるWbm Bradford氏より許可をいただいています。転載等はご遠慮ください。
現在の地図(再掲)
現在の栄町の地図。前回説明したように「米軍から解放された旧沖縄師範学校女子部・沖縄県立第一高等女学校跡地とその付近を区画整理」したため、那覇の旧市街地にしては珍しく道路が碁盤目状になっている。
OpenStreetMap®を元に作成。© OpenStreetMap contributors
前回記事の訂正
前回、大綱引きと同時に行われたイベントの場所を現りうぼうと現沖銀の間の道路と推測したのですが、これは誤りでした。もう一路南側の栄町通りのようです。
下記写真に丸高旅館と三楽が写っています。
1951年版の沖縄主要地・主要商工年鑑によると、この2つは沖縄バス本社の南側の通りの突き当たりのようです(下の地図は東西が逆(左が東、右が西)になっています)。
また、「もともと330号線は鉄道路で道路ではなく、沖縄劇場通りは安里橋からくる普通の道」でした※1。現在は、モノレール駅ができて若干道が変わっています。
一九五一年版 沖縄主要地・主要商工年鑑 P.51 (実業と文化建設社発行)
現在の地図に当てはめるとこんな感じでしょうか。上図とは東西が逆なので要注意。
栄町ロータリー近辺
栄町ロータリーから東側方向を撮影した写真です。ロータリー左側角に「合資會社涌川商會」の看板が見えます。株式会社 湧川商会の会社概要によると「1951年8月 合資会社 湧川商会法人登記」「12月 那覇市安里463番地(蔡温橋通り)新築移転」とあり、このころは栄町にあったものと思われます。
反対側の右角には「民政府席」と書かれた紙が貼られてあり、米軍人らしき人もいます。これは「琉球列島米国民政府」のことでしょうか。政府関係者も来る当時としては大掛かりなイベントだったと思われます。
栄町ロータリーに立つミルク神。沖縄タイムス1951年5月21日記事には「ミロク佛」と書かれていました。弥勒菩薩とはイメージが違うのですが、これは「布袋様を弥勒菩薩の化身とする中国大陸南部やインドシナ半島の弥勒信仰の影響であると考えられています」※2とのこと。各地で造形は違いますが、ふっくらしているのは共通しています※3。
参考文献・リンク
- 那覇 ― 戦後の都市復興と歓楽街(加藤政洋著、フォレスト、2011/11/30初版)
- 那覇市の戦後の密集市街地と真和志市
- グダグダ(β) 栄町前史 1
- グダグダ(β) 栄町前史 2
- グダグダ(β) 栄町(52年) 1
- グダグダ(β) 栄町(52年) 2
- グダグダ(β) 栄町(52年) 3
- グダグダ(β) 栄町(52年) 4
- グダグダ(β) 終戦後の一高女
- グダグダ(β) 沖縄劇場通り(50年代初期)
- グダグダ(β) ひめゆり通り(52年)
- 沖縄 那覇 栄町市場商店街 公式サイト
- 栄町市場に関する資料が見たい。特に歴史や写真について調べたい。 | レファレンス協同データベース
- Yeah… I Lived In Okinawa.
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