沖縄の昔の写真を探して(フェスティバルビル編)

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ここから読まれた方はまずは「沖縄の昔の写真を探して(長い前置き)」をお読みください。

むつみ橋にあるフェスティバルビル(現オーパビル)も気になっている建物の1つだ。古の那覇について調べておられる「グダグダ(β)」さんが「グダグダ(β) フェスティバルビル」というエントリを上げておられる。しかしネットで得られる情報はあまりないようだ。


国際ショッピングセンターもそうだが、観光客や米軍人・軍属が訪れるような施設でなければ記録はあまり残らない。那覇タワーですら写真はあまり無かったりする (那覇タワーは所有者が転々としてるのも原因だろうけど)。

少ないながらも情報を集めたりしてるんだけど、ネットで探せる資料はあまりないようだ。Wikipediaにもフェスティバルビルのエントリはないし。とりあえず、私がいままでに調べた範囲を公開して皆さんの知見を賜りたいと思います。


1993年撮影国土交通省写真から。吹き抜けの屋上が見えます。右上に那覇タワー。このころはまだ国際ショッピングセンターもあったし、国際通りが完全に観光お土産通りになる前だと思う。
(グダグダ(β) 国際通りの変遷によると60年代ごろからお土産通りだった、という話もあります。確かに市外線松尾バス停~市外線牧志バス停まではそんな雰囲気もあったけど)


2010年撮影国土交通省写真から。屋上が白っぽく見えるのは吹き抜けじゃなくなったから? 周囲の建物はあまり変わってないような気もする。

水上店舗が名前の通り川の上にあるから、あの辺は改築が難しいのかな? 子供のころは、なんで水上店舗というのか不思議に思っていました。

フェスティバルビルが建つ前:

なみさとがありました。今は平和通り内ですが、昔はここにもあった(Okinawa; 1968-1971, Part 2)。いつごろまでなみさとだったのかな。1970年撮影国土交通省写真でみると、まだ周囲には高層建築が少ない。

撮影日時:不明 / 所有者:那覇市歴史博物館
国際通り(山形屋屋上)松尾より安里方面を望む
グランドオリオン,南陽相互銀行,金城内科医院別館,福楽園,むつみ写真館,琉球名菓きっぱん店比嘉
配信元:那覇まちのたね通信
事業主体:
NPO法人ちゅらしまフォトミュージアム・地域情報エージェント株式会社

(画像の上にマウスをもっていくと、OPAの位置が表示されます)



撮影日時:昭和35年(1960) 3月1日 / 所有者:NPO法人ちゅらしまフォトミュージアム
昭和35年(1960) 3月1日
雨の日市場へ・後はむつみ橋近くの給油所・現在フェスティバルビル
配信元:那覇まちのたね通信
事業主体:NPO法人ちゅらしまフォトミュージアム・地域情報エージェント株式会社



すこし後の風景。「「ちょっと昔の沖縄 那覇のメインストリート」 – オニャンコポンな絵葉書たち – Yahoo!ブログ」。この絵葉書の右側に見える南洋相互銀行の建物は、今はサムズが入ってるビルだと思う。私が子供のころはカバン屋だった。なぜかWikimediaに写真があるので比べてみると面白いかも (File:Nanyo Mutual Savings Bank Building circa 1955.JPG – Wikimedia Commons)。

1975年の沖縄 その3 むつみ橋歩道橋 – オニャンコポンな絵葉書たち – Yahoo!ブログ

フェスティバルビルの前、沖映通りとの三叉路には昔は歩道橋がありました。この歩道橋は撮影ポイントだったようで、ここから撮影された写真は多いです。でも歩道橋自体の写真は貴重だったりする。

グダグダ(β) 現OPAの位置のなみさと

OPAにあったなみさとの記事。

建築年月日

フェスティバル(Festival)によると「1984年9月」。このページによると『新建築84年11月号(P185)、建築文化84年11月号(P64)』に記事があるようです(上記ページには2001年ごろの内部の写真があります)。
追記:グダグダ(β) フェスティバルビルによると、「9月15日付の沖縄タイムスにオープン広告がありました」とのことです。

設計

安藤忠雄氏。建築家・安藤忠雄のページ+作品リンク集の1984年に記載がありますが、写真等はありません。琉球新報の金口木舌には「箱形で吹き抜けの造形は話題になり、県内の住宅建設に影響を与えたともいわれる」とあります。

株式会社国建|国建の半世紀内の第3章 1980年代―拡大期に安藤氏のスケッチや建築現場の写真があります。

    写真

テナント

商業施設 – 設計・施工実績 – 株式会社アレックス

テナントの工事実績リストがあります。

本屋があったはず

フェスティバルができた1984年ごろはたぶん球陽堂が沖映通りに移転していて、手狭になったころじゃないかと思います。だけど、フェスティバルの本屋に行った記憶があまりありません。そんなに広くなかったからかな? マキシーの本屋は記憶にあるんだよなあ。

沖縄をめぐる散文・第二幕 ~インテルメッツォ~」には「フェスティバルというビルの一階にある本屋」という記述がある。1Fにもあったっけ? 5階とか上の方にあった記憶はあるが。

追記:グダグダ(β) フェスティバルビルによると、「6F ブックスきょうはん・レンタルレコードTHE BEAT」とあって、そういえばレンタルレコードが隣にあったかなあ、と、微かな記憶が。私はレンタルレコードは那覇タワー向かいの2Fにあったところをもっぱら利用していました。なんて名前だったかな、あの店。

【占】フェスティバルビルに居た占い師さん | 沖縄のうわさ話

最上階に占い師がいたという話。そういうえばそういう気もする…

twitter情報:





イベント

フェスティバルビルを検索すると多数のイベントが見つかります。当時のアート関係の展示の場だったのでしょう。

名称の変更:

旧フェスティバルビルからの名称変更は1996年11月のようです。沖縄観光ニュースさんの国際通り地図では既にOPAになっています。

OPAになってから

OPAになってからの写真は多いですね。やはり1970-80年代の沖縄の写真は少ないです。

所有者が変わるようです

琉球新報によると「土地、建物は現在、総合ディスカウントショップ大手のドン・キホーテの100%出資会社、日本商業施設(東京)が所有しており、ドン・キホーテが那覇店として開設する見込み」とのことです。

若者のメッカだったファッションビルがドンキになるとは。これも時代ですかねえ。私はファッション関係にはあまり行かなかったけど…

以下、新聞記事。新報もタイムスも写真を撮る位置が一緒なのが面白い。このブログで使っている Google mapのイメージも同じ角度だ。撮影しやすい位置なのだろうか?

ニュースを聞いて昔を懐かしむ人たち




コメント

  1. のぶ says:

    フェスティバルの最上階あたりにあった古着屋の赤富士は、初めて見る服ばかりで衝撃でした。それまでジーンズショップU。ヘタすると日頃の買い物は開南の丸國マーケットでしたから。