ビンゴハウスの謎(戦後沖縄にあったパチンコ以前のギャンブル)

2018/02/18沖縄の昔の写真

1950年ごろの繁華街の写真を見ると、「ビンゴ」と書かれた看板が目に付く。あちこちで楽しまれていたビンゴハウスは、パチンコが解禁されると駆逐されてしまい、現在ではどんなゲームだったのか謎となっている。

撮影日時:不明/所有者:那覇市歴史博物館
新栄通り、丸国マーケット前
配信元:那覇まちのたね通信
事業主体:NPO法人ちゅらしまフォトミュージアム・地域情報エージェント株式会社

(右端にビンゴの文字)


(1:17ごろから現丸国マーケット2階にビンゴの文字)

ビンゴゲームとは何か?

さて、ビンゴゲームとは何だったのだろうか? 現在ではビンゴといえば5×5のマス目に穴を開けていくパーティーゲームだが、これと関係あるのだろうか?

戦後史に詳しいグダグダ(β)さんも調査されているが「戦後の繁華街でビンゴ屋というのがあるのですが どういう物であったのかは自分はわかりません」と書かれている。遊んでいた人は当時20歳だとしても、今は90歳近いので覚えている人も少なそうだ。

当時の新聞記事を読んでも特に説明はない。それはそうだ。例えば現在の新聞でも「パチンコ」が いかなるゲームであるのかは解説がない。当然みんなが知っている前提で記事が書かれている。常識と思われている事項は(かえ)って記録に残らないのはありがちな話。

さて、グダグダ(β)さんによると那覇市の広報誌「市民の友」にビンゴハウスについての記述があるそうだ。以下、孫引きする。赤と白とは何を指しているのだろうか?

名物風景
那覇市新商売往来 異色戦後版
“アカ、アカ、アカ、アカ、シロ、シロ、シロ、シロ”ほとんど怒号にひとしい怒鳴り声が街路に溢れてバクハツする。これが戦後派び王座に君臨するビンゴハウスだ。ご繁盛の程度からいって不思議にこのビンゴが断然戦後新商売のトップを切るのだから凡そ愉快である。

市民の友 第1号 1952(昭和27)年1月28日発行 ビンゴハウス



雑誌みーきゅるきゅる vol.4 特集むつみ橋 には以下のように書かれている。記事内の「なみさと」は現在のドラッグセガミの位置。2006年の雑誌記事なのに注釈がないと位置がわからなくなってるなあ。

この記述からするとBingo Pinball※1に近いゲームのようにも思える。

平和通り付近では、露天劇場、すもう、芝居などやっていたという。現在「なみさと」がある一角には、ボールを転がして穴を埋めるビンゴゲームの店があった。アメリカ人がやっていたのを真似して始めたようだ。

「当たれば『ビンゴー』というコールをするのです。みなコールするのは最初は恥ずかしがっていました。チケットは赤い布で、5枚1ドルでした。ビンゴになり賞品をもらいに市場に行くと、そこでまたくじ引きがあり、ダブルで当たっことありました」。昭和40年代まで行われていたようだ。

※1 Welcome to RUSS JENSEN’S PINBALL HISTORY PAGE!



以前書いた記事にいただいたコメント。籠の中にソフトテニスボールというのが良くわからないのだけど、Amazonで売ってるCage setみたいなものだろうか。

ビンゴはルーレットのような回転装置を付けたかごの中にソフトテニスボールのようなものを投げ入れてやっていたようなのをスーミした覚えがある。


とりあえずの結論

「ボールを転がして穴に入れるビンゴゲーム」のように思えるのですが、どうにも詳細がわかりません。ビンゴピンボールやコリントゲームのように各自が台を操作して穴に入れるのか、現在のビンゴのように胴元が球を投げてプレイヤーが手元の紙に穴を開けるのか……

“アカ、アカ、アカ、アカ、シロ、シロ、シロ、シロ”と叫ぶというのもわからないです。

追記:当時の遊技風景がわかる写真が見つかりましたので記事「ビンゴハウスの謎2(戦後沖縄にあったパチンコ以前のギャンブル) 」を書きました。

沖縄の昔の写真

Posted by ず@沖縄