那覇高校の制服制定時期について(2)

2018/12/25沖縄女子校制服図鑑

前回記事※1では、1957年(昭和32年)卒業の方々が書いた『那覇高等学校第10期卒業50周年記念誌』を基に、「那覇高校の夏服は1956年の夏ごろ、冬服は1957年早々に制定された」と書きました。ただ、識者によると「冬服制定は1968年頃、夏服が1963年」※2となっていて、時期が合わないので追加調査してみました。

※1 那覇高校の制服制定時期について(1) | ず@沖縄
※2 沖縄女子制服ノート10 | 量産工房(沖縄女子制服ノート SPECIAL/那覇高校)



制服の制定時期は1957年で良さそう

『城岳 那覇高(二中)創立五十五周年記念誌』に8期生の方が制服について寄稿されています。8期生が卒業して2年後の制定ということは、前回紹介した「十期生の自慢の一つに女子の制服があります。高校3年生の時に制服はできました」(『那覇高等学校第10期卒業50周年記念誌』)の記述と合致しています。やはり、1957年に制服が制定されたと考えて良さそうです。

「(略)学園で貴賤貧富がはっきりさせられてたまるものか」と考えたすえ、制服の制定以外に防止の道はないということになり、被服科の先生に訴えたのだが、どうとう卒業するまでに制服の制定は実らなかった。しかし、卒業して二年目にいまのような制服が誕生したことを知ったときには、わがことのように飛び上がるほど喜んだものだ。

『城岳 那覇高(二中)創立五十五周年記念誌』 城岳編集委員会/編 P.106


夏服はモデルチェンジがあった?

『城岳 写真が語る88年 1998』や他の写真資料を見た限りでは、冬服は1957年の制定から大きな違いはなさそうです。問題は夏服です。1963年までの夏服は襟の色は白のものばかりで、1964年以降は色付きに見えます。白黒写真なのではっきりしないのですが、1964年以降はスカートと同じ青になっているようです。

1957年卒業生による『那覇高等学校第10期卒業50周年記念誌』には「夏のブルー」と書かれているのですが、同書掲載の夏服の写真の襟元は色が付いていないように見えます。

夏の制服は1学期の後半から2学期にかけて、冬の制服は卒業間際に作られたようです。制服は黒か紺との固定観念があった時代に夏のブルーはとても画期的なもので、その後カラフルな制服が出てきますが、那覇高校はその走りだったと思います。
ブルーの記事は、軽やかで涼しくサージの記事に比べ縫いやすいこともあって教科として洋裁の時間に縫いました。
(中略)
冬の制服はセーラー服の白線を茶色の線に変えただけでネクタイは紺色でした。経済的で縫い変えも簡単、卒業式には皆新しい制服で臨みました。

那覇高等学校第10期卒業50周年記念誌 - 那覇高等学校卒業50周年記念事業実行委員会/編集 (2008.3)


このころの在校生の話も『城岳 那覇高(二中)創立五十五周年記念誌』 に書かれていました。1964年に入学し記念誌編集時は2年に在学中ですので記憶は確かでしょう。

私たちが晴れて那覇校生となったのは昭和三十九年四月で、このまま順調に行きますと那覇高二十期生として卒業することになります。
(中略)
そういえば夏の制服は私たちが一年のときに改制されたもので、一年生でこの制服を着たのは私たちが第一号です。

『城岳 那覇高(二中)創立五十五周年記念誌』 城岳編集委員会/編 P.106


「制定」ではなく「改制」と書いてあることから、夏服は1956年に制定され(襟は白)、1964年に改制(襟は青)されたのでしょう。

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もう少し細かく調べてみたいけど、この先は卒業アルバムを探すぐらいしか手がなさそう。城岳会館に行けば見れるかな?

追記

量産工房の渚美鈴さんが徹底的に調査してくださいました。私の想定以上に昔の制服の世界は自由だったんだな、と思わされました。

ぜひご一読ください。