那覇高校の制服制定時期について(1)

2018/12/22沖縄女子校制服図鑑

戦後復興期の那覇の市場を撮影したフィルム “Rx Mid-1950s 16mm VINTAGE NAHA CITY, OKINAWA “BLACKIE-SAN" ”。平和通りから壺屋に抜ける通りに、那覇高校の夏服によく似た格好の女性が写っています (08:18ごろ)。


市場は那覇高校から近いし、撮影時期的にも(1954年9月)夏服で合うから那覇高校だよねと書いたら、識者の渚美鈴さんからダメ出しを受けました。このフィルムが撮影されたのは那覇高校制服制定以前ということで、似ている服があっても学校特定ができないそうです。この件、気になったので少し調べてみました。

那覇高校の制服は夏服、冬服とも1960年代の制定らしいです。それまでは、制服ならなんでもokの時代です。似たような市販、または手作りの制服を着用している生徒がどこの学校にもいる時代ですから、制服から学校の特定は困難です。(制服ノート10参照)



那覇高等学校第10期卒業50周年記念誌

新装開館した沖縄県立図書館の郷土資料コーナーに那覇高校関連の資料が保存されていました。「那覇高等学校第10期卒業50周年記念誌」もその一つ。1957年(昭和32年)卒業の方々の記念誌です。その中の「あんやたん」というコーナーに「制服」と題した記事が掲載されていました。

十期生の自慢の一つに女子の制服があります。高校3年生の時に制服はできました。制服についていろいろ調べてみましたが、何しろ50年前のこと、はっきり覚えている人はいませんでした。以下は何人かの記憶を基にまとめたものです。
夏の制服は1学期の後半から2学期にかけて、冬の制服は卒業間際に作られたようです。制服は黒か紺との固定観念があった時代に夏のブルーはとても画期的なもので、その後カラフルな制服が出てきますが、那覇高校はその走りだったと思います。
ブルーの記事は、軽やかで涼しくサージの記事に比べ縫いやすいこともあって教科として洋裁の時間に縫いました。
(中略)
冬の制服はセーラー服の白線を茶色の線に変えただけでネクタイは紺色でした。経済的で縫い変えも簡単、卒業式には皆新しい制服で臨みました。

那覇高等学校第10期卒業50周年記念誌 - 那覇高等学校卒業50周年記念事業実行委員会/編集 (2008.3)

那覇高校の夏服は1956年の夏ごろ、冬服は1957年早々に制定されたようです。ですので、動画に写っていた服は制服ではなさそうです。上の写真を見ると冬服は現在とあまり変わらない感じですが、夏服はスカート丈のせいか別物にも見えます。また、この記念誌には当時の写真も掲載されていますが、卒業間際を除いては確かに服はバラバラです。

制定前の冬服写真は二本線のセーラー服が多いのですが、襟の線は白線のようです(白黒写真なのではっきりしませんが)。那覇高校同窓記念 : 那覇市歴史博物館に写っているセーラー服に似ています。

(ただし、渚美鈴さんの記事「沖縄女子制服ノート10 | 量産工房」によると冬服制定は1968年頃、夏服が1963年となっていて、第10期卒業50周年記念誌と合わないんだよね。他の記念誌をチェックする必要がありそう)。

フィルムの服は何?

フィルムにはその他にも制服姿に見える女性が写っています。しかし、これらも渚美鈴さんの指摘通り「戦後の混とんとした時代を探るツールに、今のところ制服はとても役立ちそうにありません」のでしょう。
別の方向から詰めていかないと真実には辿り着けそうもありません。先は長いですな。

追記:続き書きました→ 那覇高校の制服制定時期について(2) | ず@沖縄

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