ガーブ川の源流
ガーブ川(ガーブー)は、那覇の繁華街を流れているせいか話題になることが多い。現在では大半が暗渠化されており、水上店舗ができて60年以上になるのに。
SNSでも定期的に話題になっています。
いくつかのブログでも記事になっているので、私の記憶で補足しながら紹介してみます。
現在、地上から見える範囲
県道222号
OpenStreetMapを元に作図
1919年(大正8年)の地図から
ガーブ川は記載されていないので谷筋をマークしてみました。
与儀の
(明治13年から存在する真和志小学校以外の学校は、山の上にあることもわかります)
1945年の米軍空撮写真から
この辺りは水が豊富で、田畑が広がっています。ガーブ川と思われる黒い筋が左上の
沖縄戦デジタルアーカイブ~戦世からぬ伝言の3D写真から作成
グダグダさんの記事
昔の那覇の話はグダグダさんの記事が参考になります。
グダグダさん記事の地図を引用します。ゼンリン1965年版を元にしているそうです。
グダグダ(β) 洗田原の暗渠より引用。現在と異なり、県道222を渡った先から真和志小学校前までの区間も開渠ですし、現在暗渠になって先が不明な部分も一部開渠になっています。たしかに昔は現在よりも開渠部分は多かったです。
グダグダさんの記事の「ピンク色の点は橋」も記憶があります。この橋のすぐそばに紙工場があったのを覚えています。川は紙工場のそばを流れてしばらくして南に折れていました。その先は田畑になっていたのか記憶にありません。
下の写真は1970年の国土交通省航空写真。工場の南側を川が流れているのがわかります。川は住宅街を南に曲がり、その先は既に暗渠化されているようです。
昔の写真を見ても、ここから先は田畑のそばを流れる小川程度の流れだったのだと思います。戦後、急激に宅地化して排水溝・暗渠になってしまったのでしょう。昔のガーブ川は洗剤の泡が湧き返るような川でしたし。
現在の丸大通り(沖縄大学前から
洗田原 土帝君 横を通る道)は昔は砂利道で、道の左右には小川が流れていました。国土交通省 地図航空写真閲覧サービスの1970年写真を元に作成暗渠さんぽさんの記事
2つ目の記事が(暗渠さんぽさんによる)源流と思われる場所を探した記事になっています。
2番目の記事のスタート地点は那覇市長田2丁目24と29の境の道路で、進んでいくとサンシャイン長田とグリーンハウス長田の間に急な階段があります。その先、「いかにも谷戸」と書かれている部分は大倉ハイツ自治会の範囲です。
- R4.11月現在 那覇市自治会区域図(真和志地区)(地図20番)
ここは昔は国吉農園・花鱗園がありました。子供のころ畑道を探検していると突然鯉の養魚場が出てきてびっくりした覚えがあります。谷間で水が豊富だったから養魚をするようになったのでしょうか。その花鱗園の範囲がそのまま開発されて大倉ハイツとなったと推測しています。
花鱗園の広告はむつみ橋側の水上店舗にもあったような記憶があります。
なお、「暗渠マニアック!」という書籍には『ガーブ川については谷頭に「スリバチ公園」がある』との記述があるらしいが、「スリバチ公園」という名前の公園は那覇にはないと思う。長田大倉ハイツ公園をそう呼んだのか、別に何かあるのか。
ブログやSNSの記事
検索してみると多数見つかります。何が人をガーブ川の源流に惹きつけるのでしょうか。
- 【晴歩】(4)ガープ川の源流を訪ねて: まな兵衛3の“おきなは”移住日記
- ガーブ川の源流を訪ねて|ゴーヤー茶日記 胴一人物言(どぅ~・ちゅい・むに~)
- 地図子、ガーブ川を行く – ふと思い立って、プチ冒険
- 『我部川』遠征記 -鉄道のない沖縄の子供たちへ蒸気機関車を- – 水の行方を追って
- 2020年10月 – 水の行方を追って
- (4) Xユーザーのなえぴゃんさん: 「この先は入り組んだ住宅街。源流発見できず★<ガーブ川@那覇 https://t.co/GTjCpNQttD」 / X
- (4) Xユーザーのなえぴゃんさん: 「表通りは東南東に向かって登り坂。源流を探すのは難しいかな。住宅街の地下のどこかに泥岩層と琉球石灰岩の層の隙間があってそこから涌き出てるパターンだろな<ガーブ川@那覇 https://t.co/ZImLERa8hM」 / X
- (4) Xユーザーのまーどっさん: 「これがガーブ川の源流かな? http://t.co/IUTSVJ75Bm」 / X
那覇市寄宮土地区画整理
Twitterで参考になりそうな資料を教えていただきました。ありがとうございます。
- Xユーザーの@tokumeikibouさん: 「ガーブ川下流の暗渠工事とひとまとまりになってる寄宮の土地区画整理事業の図面(23ページ目あたり)とか参考にならないかな。ちょうど寄宮中あたり。図面はさっぱり読めない。」 / X
- 那覇市寄宮土地区画整理 那覇市久茂地川右岸アスファルト舗装工事 那覇市牧志町ガーブ川下流改修工事 図面 1965年度 1964年度繰 - 沖縄県公文書館所蔵資料
- 那覇市公共下水道(雨水)工事 15工区 那覇市寄宮地内ガーブ川上流雨水渠351.77米工事 工事変更設計 - 沖縄県公文書館所蔵資料
グダグダさんの地図にあった橋のあたりを切り出してみました。色の塗られている部分は、工事予定年度で黄色が64年度、ピンクが67年度です。
現在の図面※と比べると、黄色が汚水・雨水管、ピンクが汚水管のようです。矢印はガーブ川らしき黒い線。西から橋を渡ってすぐに南に折れ曲がり、現在駐車場になっている部分を通って道路を超えています。グダグダさんの地図にある川筋に比べるとだいぶ短くなっています。住宅街の中に細い筋になっているようでもあります。
地図を見ていて気がついたのですが、区画整理の予定では長田北公園の部分に道路があり、それが道を超えて東側まで伸びていますが、現状はここは公園と建物(ふく薬品)があります。ここに道路が無いのは地味に不便なんだよな。グダグダ(β) 寄宮区画整理で指摘されているように「本来この計画は1964年から1967年に行われるものであったようですが、住民の反対運動などで1967年に中止され、話し合いで1972年に再開」の間に変化があったのでしょう。実際、長田原の宅地化が進んだのは海洋博の頃からと記憶しています。
1966年の那覇市住宅地図から
沖縄慶文社の「那覇市住宅地図」1966年版の「83 寄宮・国場」にガーブーの川筋が描かれていました。川筋を現在のOpenStreet Mapに重ねて描いてみました。
グダグダさんが参考にされたゼンリン1965年版とほぼ同じのようです。このころは、ここが川筋だったのでしょう。©OpenStreetMap contributors1964年当時の長田原の写真
長田1-2丁目がまだ畑と原野だった時代の写真。これ、どこからどこを撮影したのかさっぱりわかりません。
寄宮中の南から大石原公園や識名のあたりを撮影なのか? 右側の山すそのような部分が上間小のあたり??
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