1953年ごろの沖縄のバス路線図

2018/08/07沖縄のバス

スタンフォード大学の図書館サイトに古い沖縄バス路線図がありました※1。地図の注記には1955?と書かれていますが、正しくは1953年ごろの路線図と思われます。

※1 Okinawa Hontō basu rosen keitōzu. in SearchWorks catalog

目次

なぜ1953年ごろとわかるのか?

この路線図には以下の13のバス会社が掲載されています。

  1. 沖繩バス
  2. 銀バス
  3. さくらバス
  4. 東陽バス
  5. 昭和自動車
  6. 合同バス
  7. あらがき、平尾バス
  8. 沖縄靑バス
  9. 共和バス
  10. 三共バス
  11. 第一交通
  12. 那覇陸運
  13. 首里バス

これを「内閣府 沖縄総合事務局 – 運輸要覧・業務概況について」の古い資料(平成22年以前)に掲載されているバス会社の歴史と突き合わせてみます。すると路線図には遊覧バスが掲載されていません。遊覧バスがあらかき平尾バスと合併したのは1952.5.15です。また、1953年には那覇陸運と第一交通、昭和バスと三共バスは合併しています。

路線図右上・左上には沖繩海邦銀行の前身である沖繩無盡(むじん)・那覇無盡の広告があります。1953年11月に前者は沖縄相互銀行、後者は第一相互銀行に行名を変更しています※2

路線図右側には泰石(たいこく)酒造の焼酎広告があります。泰石酒造に酒造免許が降りたのが1952年8月10日、焼酎製造を開始したのは1953年5月13日※3です。

※2 沿革 | 沖縄海邦銀行
※3 沖縄県うるま市の蔵元「泰石酒造株式会社」|会社概要、沿革など泰石酒造について

以上の情報から、1953年の可能性が高いと考えます。

路線について

ほとんどの路線で、複数のバス会社が競合しています。沖縄本島は細長い上に輸送需要のある地点は限られているので、どうしても競合が発生します。これは現在も変わりません。本図で最も本数の多い屋慶名線は8社が運行しています。

首里線・普天間線は「経」と書かれていますが、これは他路線に乗って「経由」して行けるということでしょうか。銀バス石川線北谷経由にも「経」の文字があり、これは少し謎です。北谷を経由して瑞慶覧から石川に向かったのでしょうか。

1950年の沖縄バス路線図と比較すると、島尻一周線・東風平線が消えています。ここには現在もバスが運行しているので、需要がなくなって廃線になったとも思えません。どうも南部の路線が省略されているように見えます。もしかすると主要路線のみ掲載しているのかもしれません※4

※4 記事投稿時はこのように考えていたのですが、他の資料でも南部路線が記載されていないものがみつかったので、調査が必要です。


ペリーという地名、バスの大迂回

那覇の南(右側)にペリーと書かれた場所があります。これは小禄の山下町一帯、旧みなと村ペリー区です。いまでも近隣にはペリーの名のついた店が存在します。

この頃は那覇大橋は存在しないので、バスは明治橋から山下に向かいました。始発地は壺屋や神里原ですので、壺屋→ひめゆり通りを南下→壺川から明治橋→山下→糸満方面と運行していたのでしょう。那覇大橋ができた1970年以降もこの経路は引き継がれていて、89番糸満線など那覇バスターミナル→開南→壺川から明治橋と大回りする理由でもあります。

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Posted by ず@沖縄