Hypernotes と MINIX (ascii-net pcs と BBSてだこ)

2012/03/11パソコン通信, 昔話, 読み物

前回のエントリ「mvコマンド の “mv: will not overwrite just-created” メッセージ」を書いていて少々思い出したことがあるので、覚えているうちに書き留めておくことにする。正確な年が思い出せない/わからないので誰か覚えてたら教えて欲しい。

パソコン通信時代、アスキーネット pcs にハマっていたころ、pcsのHypernotesのようなシステムを草の根BBSに持って来れないか? と考えた。1990年ごろの話。当時、私は友人が運営していた「BBSてだこ」という草の根BBSを手伝っていた。

そのころのBBSてだこはMS-DOS(+Turbo Pascal)上のWWIVというソフトで動いていたんだけど、電話回線は1本しか使えず、機能も不足していて、不便になりつつあった。当時の草の根BBSは電話回線1本のところが多く、どこも混雑していた。テレホーダイもない時代なので夜まで待たずにアクセスするから夕方から寝る前がゴールデンタイム。待ち時間がもったいないから草の根BBSのはしごをしている人も多かった。



Hypernotesはascii-net(アスキーネット) pcs の掲示板システムで、 VAX-11 + BSD UNIX の上に構築されていた。当時の他のパソコン通信サービスの掲示板に比べて使いやすく、多くの投稿が行われていた。NIFTYのフォーラムごとに20個までという部屋数制限が嫌だったんだよなあ。

それから、ascii-net pcs の junk.testという掲示板で Hypernotesのことを聞いたのがきっかけだと思うが(覚えていない)、Hypernotesの元になったソフトウェアが存在する、ということを知った。notes という名前。notesを改良したからHypernotesなわけだ。後に有名になったLotus社の同名のソフトとは別である。

そこから伝手をたどって、Notesをもらうために、わざわざ慶応大学日吉キャンパスまで itojunさんを訪ねていった。そこで ftp というものを初めて見て感動したことは記憶に残っている。たぶん1989年-1990年ごろの話だと思う。(WIDEのハワイ回線はWIDE:About WIDE:ヒストリーによると1989年1月に64Kbps回線が引かれていて1991年10月には192Kbpsになっている)。


さて、notes 自体はUNIX上で動作するソフトウェアなので、どっかからUNIXを入手しないといけない。当時入手できるのは高価な XENIX や SCO UNIX だった。めっちゃ高かった。

幸いなことに、80286でも動作する MINIXが入手できるようになり、この問題は一応解決。アスキーからはMINIXオペレーティング・システム(1989/4)が出版されていて、PC9801でも動作していた。もしかしたら順序が逆でMINIXが出たから、notesを使おうと思ったのかもしれない。もはや記憶にない。(1989年5月のBBSてだこログにMINIXネタがあるので、このころには本は買ってたっぽい)。

ホストマシンの調達も問題だった。複数回線サポートが必須だったので、PC9801じゃなくてPC互換機にすることにして、アメリカから送ってもらうことになった。CPUは80286。メモリは何MBだったかなあ? メモリモジュールがDIMMじゃなくてDIPだったのは少しびびった。シリアル回線は増設してCOM1-COM4まであったはず。

※ 当時は日本ではまだ売られていない高速モデム(9600bpsとか)をアメリカから共同購入するのが流行ったりしてました。USRoboticsのHSTとか。Sportsterはもうちょい後だと思う。



MINIXと80286マシンが入手できてすんなり動いたかというとそうではない。80286用のMINIXはプロテクトモードで動作してメモリは16MBまで使えたんだけど、例によって64KBのセグメントの壁があった(コード64KB+データ64KB)。MINIXのプログラムは素直にコード1つ、データ1つで動くように作られていて、大きなプログラムは作れない。なので notesの機能を削りまくりつつ、Hypernotesにある機能を追加して、かつメモリ制限内に押し込む必要があった。まあ、これはなんとかなった。bnews連携機能とかを削ったような記憶がある。それから、BBSに必要なメールとかシェル部分は標準コマンド(の改造)と、シェルスクリプトで対応した。

モデムをつなぐシリアル回線はMINIXでは一応サポートされてたけど、割り込みまわりにバグがあって、高速にデータを送ると文字抜けしたりしてた。高速といっても9600bpsとか19200bpsだけど。結構根が深いバグでこれの修正にはかなり時間がかかった気がする。そもそも複数回線つながないと発生しなかったりするし。

386BSDやLinuxが普及していくのは ここから数年後のことだ。UUCP時代の話はまた別の機会に。


注:1992年ごろの状況は私の書いた「個人で遊べるUNIX環境」に記録が残ってる。このとき既にBBSてだこに「comp.unix」があったんで、少なくとも1992年にはMINIX版になってたはずんじゃないかな… 1993年10月にはmmmになってるので、MINIXだったのは1990-1993ごろかも。1989年のログはまだWWIVだし。mmmになったのは、一括投稿・ダウンロードなどの周辺ツールがそろってて利用者が便利だったからだと思う。PC9801で動いたのも大きかったような。

てだこのホストプログラムはN88-BASIC自作→WWIV改造→MINIX+Notes→mmmと移り変わりました。運用者・所在地も転々。県内の他のBBSのホストプログラムは、WWIVとか絵里香とか。mmmも多かった。

高速モデムが複数台繋がるMINIXベースの草の根BBSは、たぶん日本ではBBSてだこだけだった…と思ったら他にもあったようだ (^_^; 。みんな考えることは一緒だなあ。ttyまわりのバグ修正はどうやったんだろ?


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