又吉通りが電子部品通りだったころ

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タイトルを書いてから知ったのだが、現在は崇元寺通りと呼ぶらしい。県道29号線の泊高橋から安里三叉路までの区間。
この記事で扱うのは改称以前の話なので、タイトルはそのまま又吉通りとしておきます。

昔はあちこちにラジオ屋があった

昔は、ラジオもテレビも真空管が使われていた。真空管からトランジスタに完全に切り替わったのは復帰後だろうか。ラジカセやBCLがブームになったころにはオールトランジスタラジオが普通になっていた。ソリッドステートが宣伝文句になった時代だ。我が家にあったラジオも真空管式で電源を入れてからヒーターが温まるまでは多少の時間がかかった。

真空管の時代は修理するのが普通なので、電気屋さんには交換用の真空管が在庫してあったし、あちこちにラジオ屋(修理屋)があった。テレビもラジオも高価な品物だったので大事に使われていた。ゑびす通りや国際通りにもラジオ屋があって、ちょっとした部品を売っていたものだ。

当時のアマチュア無線の教科書にも真空管の解説があって、三極管とかビーム菅の特性を頭に詰め込んだ記憶もある。最初に買ったアマチュア無線機はFT-101Sで、これも終段は真空管(6JS6C)だった。真空管は壊れるものなので予備も持っていた。アマチュア無線の世界もそのころからオールトランジスタに置き換わっていったように思う。

それから時代が下って、オールトランジスタの時代になるとラジオもテレビもほとんど壊れなくなった。街のラジオ屋さんは電気屋になったり、別の商売に衣替えしたりして少しずつ減っていった。


撮影日時:1953年4月29日 / 所有者:那覇市歴史博物
国際通り(蔡温橋附近)、1953/04/29
の天皇誕生日で日の丸掲揚している
配信元:那覇まちのたね通信
事業主体:NPO法人ちゅらしまフォトミュージアム・地域情報エージェント株式会社

ゲームセンターが増えた頃

8bitマイコンにハマっていた頃(1980年代前半)、電子部品は泊高橋近くの沖縄電子に買いに行くものだった。通販だと時間がかかりすぎるし、現物を見てから買いたかったし。

ちょうどそのころ、なぜか又吉通りにICを扱う店がいくつも集まっていた。今から思えば、インベーダーブームでゲームセンターが爆発的に増えたことによる修理需要なのだろう。標準TTLからLSへの移行始めのころだったはず。CMOS ICは壊れやすいと噂される時期。

私が行ったことがあるのは、泊高橋側から沖縄電子那覇店、SUN電子、沖縄テレビラジオ部品店の3件。 雑誌I/Oの沖縄マップには沖縄電子とSUN電子は紹介されていたが、沖縄テレビラジオ部品店は載っていなかった。マイコン小僧向けの品揃えじゃなかったのかな?

I/O 1980年9月号P.222 沖縄マップより
(「(74)LS245なども出る」という記述があるのはゲームセンター需要のため特定のICが不足していた為)

マイコンブームの後

又吉通りにICパーツ屋さんが集まったのも謎なのですが、その後も、又吉通りにパソコンを扱う店が集まって来たのも謎なんだよな。集積しやすい理由が何かあったのだろうか? 

それらの部品店やパソコンショップも移転・閉店し、沖縄電子も宜野湾市大山の本店だけになり、近場ではパーツが買えなくなってしまいました。通販で用は足りるのですが、なんとなく寂しい気がします。

コメント

  1. 奥間政寿 says:

    崇元寺の向かい側、いまタイヤ屋があるあたりにも
    部品屋があった記憶があります。
    そこが沖縄テレビラジオ部品店だったのかなあ。