1951年ごろの琉球政府前
現在の沖縄県庁前、当時は琉球臨時中央政府(1952年4月1日より琉球政府)の変遷についてのメモ。「大相撲沖縄巡業(1952年)」の開催地を知るための手がかりでもあります。
1952年当時の地図(最新那覇市地圖)
1951年7月1日發行と書かれていますが、グダグダさんによると1952年以降の変化も反映されているとのこと※1。
(後の国際通りは右端の道路の延長上になる。那覇税務署の右は松尾消防署通り)(政府前付近を拡大)最新那覇市地圖より
この図では御成橋から県庁前の通りが随分傾いて見えるのですが、昔の航空写真(下に掲載)も同様です。国際通りの改修に合わせて、若干位置が変わっているのかもしれません。
航空写真と現在の地図を重ねてみる
1947年の空中写真から。改修以前の国際通りはぐにゃぐにゃと曲がっています。
米軍撮影空中写真(1947/05/12)、国土地理院の空中写真より
グダグダ(β) 改修以前の国際通りと紅房の手法を見習い、現在の地図に重ねてみました。みずほ銀行のあるビル(日本生命那覇ビル)と沖縄銀行本店の間の道路が国際通りと平行ではないのは、旧道の影響かもしれません。もしそうだとすると旧道はもっと北側?
openstreetmapを元に作成
写真との比較
中央の煙突のある建物が沖縄電気会社、その右に久茂地小学校。左端手前の建物が警察学校、空き地を挟んで右が沖縄無盡、その向かい手前側が(縮小された)紅房と思われます。
撮影日時:1952年 / 所有者:那覇市歴史博物館
那覇市歴史資料室収集写真/戦後/同写真2枚あり/「写真集那覇百年のあゆみ」P162の上・右部参照/パネルあり(AAN−2 1030×730)/(1952)
配信元:那覇まちのたね通信
事業主体:NPO法人ちゅらしまフォトミュージアム・地域情報エージェント株式会社
下の写真、左端の建物が沖縄相互銀行(旧沖縄無盡、現沖縄海邦銀行)。位置は現在のニューサンパルコビルだと思います。撮影年代は沖縄相互銀行に名称が変わった1953年11月以降。
撮影日時:1950年代 / 所有者:那覇市歴史博物館
国際通り 松尾付近
配信元:那覇まちのたね通信
事業主体:NPO法人ちゅらしまフォトミュージアム・地域情報エージェント株式会社
こちらは、さらに過去の同一地点の写真か?
那覇(国際通り)/琉球政府前 松尾大通り付近 1952
那覇市歴史博物館 提供
下の写真は現在の琉銀本店前から御成橋〜琉球政府方面を撮影。時期は1955年ごろとなっているが、1954年2月に落成した琉球新報本社が写っていない。1953年以前と思われる。
都市計画/土地区画整理工事 1955年頃
那覇市歴史博物館 提供
今後の予定
「グダグダ(β) 那覇市復興地図」によると「1945.12」「1946.2」「1947.5」の地図が存在するらしい。詳細がわかったら追記あるいは続編を書く予定です。
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