仕組みを知ること / 仕組みを知る側であること
先月、「米長邦雄永世棋聖 vs ボンクラーズ プロ棋士対コンピュータ 将棋電王戦」が行われて、将棋ファンとしての感想やメモは「米長永世棋聖・ボンクラーズ電王戦感想」に まとめたんだけど、ここはもうちょっとメタ的な話を。まとまりのない雑文になります。
半年ROMれ、じゃないけど先達の知見を知っておくことは重要。そうでなければ良くて車輪の再発明、悪くすると陰謀論に堕してしまう。東京電力の原発事故以来よく見かけるトンデモ発言もそういうのが多いんだろうな、とは思う。
(自戒しないといけないことでもあるね。自分の専門分野以外は「高校卒業程度の知識」すらないんだと思うし)
いろんなことが高度に発達しすぎて実感しにくいってのもあるだろうな。コンビニにある商品やサービスの裏に隠された膨大な仕組みを考えると頭がクラクラする。100円で買える商品だからと言って簡単に作られてるわけではないし。ちょっとした商品にもICチップが入ってて、坂村健が30年近く前に電脳都市で語っていたような世界になっている。
将棋ソフトの場合は、いろいろな情報は公開されているし、ソースコードが公開されているソフトもあるのでそれを読んで動かして学べば、マトモな意見もでてくるんだろうけど、それは時間がかかるしみんなに期待できることでもない。原発のような巨大システムだと「動かして学ぶ」わけにもいかんしね(^_^;
かつてSF作家の眉村卓がインサイダー文学論で語ってたのは、そういうことかもしれない。調べてみたらインサイダー文学論って1968年に語られてたのね。古いなあ(俺も)。
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