30年ほど前のマイコン環境
昔の写真(ネガ)が見つかったのでスキャンしてみたら、30年ほど前に撮影した自分のマイコン環境が出てきた。当時はPCって言わなかったんだよな。PCって言うようになったのはWindows95あたりからかな? パソコンって言うようになったのは80年代に入ってからかなあ。パーコンと呼ぶ人もいた。
背後にI/O別冊の「アプリケーションプログラムライブラリ」(1980.12.20)が見えるので、撮影したのはたぶん1981年前半(1-3月?)だと思う。
左写真に機器の説明を付けてみた。当時の理系小僧の王道パターンである天文→BCL→アマチュア無線→マイコンと転落していったので、無線機器が左に見える。
マイコンは日立のベーシックマスターL2II (MB6881)。CPUは6800 750KHz、ROM 16KB、RAM 32KB。750KHzって遅いけど、画面表示をサイクルスチールで行う関係上、このクロックにせざるを得ないはず。当時はどのマシンの速度もこんなもんだった。
写真の現像代も学生にはもったいないので、意味も無くこんな写真を撮るわけもない。この写真はI/O誌に記事を投稿するときについでに撮影したものだと思う。左の写真は同じネガに含まれていた Tiny Othelloのソース先頭部分。これを投稿したのかもしれない。掲載された記憶はないので没になったのだろう(追記:載ってた)。
雑誌投稿の際は(まだフロッピーディスクは無い時代なので)、 カセットテープに記録して投稿するんだけど、概要を伝えるために写真添付が必要だったと思う。
プリンタもあまり普及していないので、画面に表示されたダンプリストを写真撮影して投稿し、それがそのまま紙面に載ったりした。
このころは、マイコンの周辺機器に互換性がないから編集部で簡単に印刷できないんだよね。なのでマイナーな機械を持ってるとプログラムを印刷して送らないといけないので、投稿するだけでも一苦労だった。
ちなみに、左の写真が白黒なのは、フィルム代と現像代をケチるため。最初に画面ダンプリストを現像に出したときは、写真屋の親父さんに本当にプリントしていいのか確認された覚えがある。
左はTiny Othelloの実行例。
このプログラムの記述言語であるKumajiri は当時人気のUCSD-Pascalを真似た、コンパイラ・インタプリタ型の言語だ。言語仕様はVTL系のGAME言語に構造化構文と長い変数名を付け加えたもの。サブルーチンはあるけど、仮引数とかローカル変数は無い。メモリも少ないからあまりおごった仕様は入れられないしね。GAMEコンパイラほど速くはないけど、そこそこに書きやすくて そこそこの速度が出るので重宝して使っていた。
ところで、このころにカセットテープにプログラムを保存していた人は、安物の中の安物カセットであるBONカセットの名前を覚えているかもしれない。最近2ちゃんねるにスレも立ったので興味がある人は見てみるといいかも。「伝説のBONテープについて語るスレ」だ。
- ベーシックマスター(wikipedia)
- 伝説のBONテープについて語るスレ(2ch)
- FORM,WICS,GAME,TL/1..8ビット機の独自言語(2ch)
- 日立ベーシックマスターシリーズ レベル(2ch)
追記
Tiny Othello はI/O別冊システムプログラムライブラリ2の記事に写真だけ載っておりました。
I/O別冊 ライブラリ・シリーズ システム・プログラム ライブラリ2 – 工学社(1981.6)
さらに追記
写真に写っているベーシックマスターが帰ってきました。うれしい。
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