萬田ドレスメーカー女学院とローマの休日
私が学生のころは 平和通りや新栄通り(サンライズ那覇)にはアーケードが無く、青空が見えていた。浮島通り(千歳橋通り)で車が切れるのを待つ少しの間、桜坂の丘の上にある萬田ドレスメーカー専門学院が見えていた。
撮影日時:不明 / 所有者:那覇市歴史博物館
新栄通り、丸国マーケット前
配信元:那覇まちのたね通信
事業主体:NPO法人ちゅらしまフォトミュージアム・地域情報エージェント株式会社
(この写真もBLACKIE-SAN縁の写真のようです。 The Tsuha Collection-Keystone Studios & Blackie The Photographer – 1950’s “Blackie-San" Okinawa Project by wbm2012)
上記写真もそのような一枚。撮影日時不明だけどたぶん1954年夏だと思う。以下検証メモ。
萬田ドレスメーカー女学院
この位置に萬田ドレスメーカー女学院ができたのは1953年8月ごろのようだ。1953年8月18日の沖縄タイムスに下記の広告がある。
万田ドレスメーカー女學院
新築校舎落成
那覇市四区三組
オリオン座右隣沖縄タイムス 1953年8月18日
オリオン座は現桜坂劇場(旧珊瑚座)の隣。資料によって開館日に異同があるけど、いずれにせよ1952年。
山里さんによると、桜坂オリオンは現在地に1952年6月22日にオリオン座として開館。
オリオン座〜桜坂オリオン
開館:1952年5月3日 (土)
ローマの休日
萬田ドレスメーカー女學院は目立つ建物だったので、隣のオリオン座の映画広告が出されていた。この広告から撮影時期が絞り込めそう。
ローマの休日は米国公開が1953年8月27日、日本公開が1954年4月19日。沖縄での上映は琉球新報縮刷版(1954年7月)によると7月30日〜8月5日までのようだ。
事前広告はあっても上映終了後まで広告を掲載したとは思えないので、撮影時期の下限は1954年8月5日ごろか。
新聞広告にローマの休日が現れるのは7月19日なので上限もこの頃でしょうか(やや自信なし)。
ローマの休日
世紀の歴史的ロードショウ公開
いよいよ7月31日から沖縄タイムス 1954年7月19日
(Rx Mid-1950s 16mm VINTAGE NAHA CITY, OKINAWA “BLACKIE-SAN" svFilms 480px 1.avi – YouTubeには同位置に“シンデレラ姫”の広告がある。こちらの撮影時期についても別記事で再検討予定。追記:書きました → Rx Mid-1950s 16mm VINTAGE NAHA CITY, OKINAWA “BLACKIE-SAN” について(撮影年月編))。
那覇市歴史博物館の類似写真
実は、萬田ドレスメーカー女學院とローマの休日が写っている写真は、那覇市歴史博物館にも存在する。
こちらの写真の注釈では1953年8月撮影とされているが、日本公開時期よりも前なのは変だと思う。
大琉球写真帖/目録番号42/写真掲載なし/(1953/08)
上記写真と同じ位置から撮影したと思われる別の写真もある。
(撮影位置は三共デパートの2階と思われます。“グダグダ(β) 丸国周辺”の写真と比較してみてください)
こちらにはナショナルパチンコの宣伝マンが写っており、“本日休業(略)明二十三日ヨリ開店二年目第??大奉仕”とある。
大琉球写真帖/目録番号41/写真掲載なし/(1953/08)
ナショナルパチンコ開店広告は沖縄タイムス1953年7月19日にある。ゼンリン1969年版では、現在スターバックスが入ってるプランタビル(旧なみさと)の安里寄りの位置。
病院通りは “グダグダ(β) 病院通り(牧志)” によると那覇タワー前の通り、さくらバスは “グダグダ(β) 国際大通り(52年)” 現三越の一部(A&W向かい)。
愈々開店
ナシナルパチンコ桜バス隣 病院通り入口
沖縄タイムス 1953年7月19日
本日休業の広告から日付が絞り込めるかと思ったが、該当する広告は探せなかった。沖縄タイムス7月18日に下記の広告がある。
開店二年目
一年間の皆様の絶大なる御贔きに應えて
第一週御礼大奉仕開始
七月十六日よりパチンコ ナシヨナル
沖縄タイムス1954年7月18日
(注:上記引用の日付が誤って1953年になっていました。訂正いたします)
那覇市市会議員選挙
写真には「市議候補 国吉有慶」の横断幕がある。
那覇市のサイトにある「過去の記録一覧(PDF/619kb)」によると国吉有慶氏が出馬している選挙は 第3回(1954年9月12日)、第4回(1955年10月16日)の2回。有権者数がこの2回の間に4000人以上増えており、那覇の復興(避難民の流入)がいかに急速だったかわかる。
撮影時期は?
1954年の6-8月でしょうか。7月後半が最もありそうです。写っている人々が軽装なのも夏を思わせます。アーケードの無い市場の夏空は開放感があって好きでした。
新聞縮刷版の広告が調査の役に立ちました。新聞記事はデジタルデータベース化することで広告が落ちてしまうことが多いけど、調査の面からは問題かも。
リンク
同様の位置からの撮影。
- Rx Mid-1950s 16mm VINTAGE NAHA CITY, OKINAWA “BLACKIE-SAN" svFilms 480px 1.avi – YouTube(1:31〜)
- Postcards of Naha and Shurei Page 1(http://www.rememberingokinawa.com/photo/cpc_naha_shuri_1/11)
- 風景/市場付近 : 那覇市歴史博物館
ディスカッション
コメント一覧
はじめまして。萬田ドレスメーカーで検索していて辿り着きました。素晴らしいサイトをありがとうございます。
https://www.zukeran.org/shin/d/2014/06/17/manda-dressmaker/
この写真、すごくいいです。でも、那覇市歴史博物館のデジタルミュージアムで探しましたが、どうしても見つけることができませんでした。(いろいろキーワードを変えてみたんですけど)
よろしければ、どうやってこの写真を抽出できたのか、教えてくださいませんか。
那覇市歴史博物館のデジタルミュージアムは掲載されていた写真がいつの間にか掲載されなくなることがあるようです。この写真以外でも何枚か見つからなくなっている写真があります。
DeeOkinawaさんのサイトにも同じ写真があるので、掲載されていたのは間違いないのですが…
( https://www.dee-okinawa.com/koneta/2015/11/konjyaku10.html )