琉球の囲碁について(3) 爛柯堂棋話1

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琉球の囲碁について(2)のコメント欄にていただいた情報への返礼記事です。

コンピュータ将棋の解説でもお見かけする古作登先生の話によると、親雲上濱比嘉の棋力は「現在のアマ県代表以上(アマトップクラスに近い)」「本因坊道策は現在のトップ棋士と遜色なし」とのことでした。

参考資料として爛柯堂棋話(林元美・著)を教えていただきましたので調べてみました。

爛柯堂棋話

爛柯らんかは囲碁の別称。「囲碁を対局し終えると長い長い時間が経っていて斧の柄が爛れていた」という浦島太郎のような中国の伝説に基づく。
林元美は江戸時代の囲碁棋士。『襴柯堂棋話』は史話と随筆集。古作先生によると「創作(説話)の部分も多いので真贋を注意して読まなければいけません」とのことです。

江戸時代の資料であれば国会図書館が公開しているかもしれないと考え、デジタルコレクションを検索すると大正時代に発行された襴柯堂棋話・天地人の全3巻が見つかりました。

天巻の先頭部分に本因坊道智・琉球人屋良里之子の棋譜がある。屋良が三子置いている。碁譜が漢数字で書かれて見にくいけど、慣れれば見れるようになるのかな。

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国立国会図書館デジタルコレクション – 爛柯堂棊話. 天 目次前ページ

琉球囲碁の事

琉球国志略巻四下の文章を引用し、解説しています。琉球国志略は「尚穆王を冊封した時の副使である周煌が1757年に著した使録」(最新版 沖縄コンパクト事典 – 琉球新報)。

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国立国会図書館デジタルコレクション – 爛柯堂棊話. 天 十三ページ

白黒二子ずつの絵があるのは対局開始前の事前置き石の説明だと思います。元々囲碁は事前に置き石をしていて(鎮子碁)、それが日本では置かなくなりました(自由布石)。琉球の碁もこのころには自由布石になっていたのでしょう。

「局終 數空眼多少 不數實子也」は日本ルールと中国ルールの差の説明だと思います(あるいは終局後の目数計算方法か)。

この2つから、琉球では既に囲碁は日本ルールになっていたと思われます。
しかし冊封使をもてなす時や、中国朝貢の際は中国ルールで指しますよね、きっと。今の国際的な囲碁大会参加棋士と同じように、琉球の碁打ちはどちらのルールも打てたのかもしれません。
(この項、もう少し調べたいと思います)

最後に「亦有象棋」とあるのは琉球象棋(チュンジー)のことでしょうか。

爛柯堂棋話にはまだ琉球の話が出てきますので、続きを書く予定。

参考文献・リンク