沖縄の昔の写真を探して(沖縄三越・大越編)
三越閉店のニュースを見て記事を書き始めたのですが、ようやく一通りまとまりましたので公開します。
ざっくりとした話は Wikipedia:沖縄三越、CiNii 論文 – 沖縄県における大規模小売商業の史的展開 : 百貨店の歩みを参照のこと。以下、この2つのソースを中心に追います。
沿革
既に okinawa-mitsukoshi.jp のサイトは消えているため、archive.org 経由にて引用する。
沖縄三越の前身である大越は1957年8月24日に開店したらしい(Wikipedia、百貨店の歩み)。三越の子会社ではなく、三越風の沖縄の会社というとことは特記しておきたい(百貨店の歩み P.76)。
1957年(昭和32年)8月 株式会社大越百貨店として創業
国際通りには既にリウボウ・山形屋が存在しており、大越は国際通りのデパートとしては後発であった。(神里原大通りにあったリウボウ・山形屋は、前者が1954年・後者が1955年に国際通りに移転している)
初期の那覇復興の中心地である神里原にあったリウボウと山形屋が国際通りに移転し、その後大越ができたことで、ほぼ等間隔に3百貨店が並立することとなった(百貨店の歩み P.72)。
このことは下記論文でも指摘されている。
大越は立地条件の良さはあったが、他の二店に比べ後発であり、店舗規模も最も小さい方であったので、店舗規模の狭小さをカバーするために商事部門を強化したり、空港ターミナルへ出店するなどして売上増大を計った。
復帰後に、国際ショッピングセンター・マキシー・フェスティバル・ダイナハが作られ、国際通りの中心は平和通り入り口になる。
店舗面積の差は、店舗をどれだけ拡張したかにもよる。何度も拡張を重ねたリウボウや山形屋は迷宮のような構成になった(沖縄の昔の写真を探して(リウボウ編))が、三越は1970年、1991年のリニューアルだけである。
沿革にもターミナル出店は記載されているし、沖縄三越閉店まで空港の店舗は存在していた(沖縄三越、9月21日閉店 リウボウ継承へ – 琉球新報)。
開業前の写真
撮影日時:不明 / 所有者:那覇市歴史博物館
那覇市歴史資料室収集写真/戦後
配信元:那覇まちのたね通信
事業主体:NPO法人ちゅらしまフォトミュージアム・地域情報エージェント株式会社
車の止まっている空き地が大越になります。空き地の右が大宝館、さらに右に朝日商会(カクイワタ)の建物。後方(手前)は久高木材。
グダグダ(β) たから百貨店から引用
開業当時の写真
4階建ビルは当時としては高層だと思う。
撮影日時:昭和32年(1957) 9月 / 所有者:NPO法人ちゅらしまフォトミュージアム
昭和32年(1957) 9月 新築開店祝い・今の三越デパート
配信元:那覇まちのたね通信
事業主体:NPO法人ちゅらしまフォトミュージアム・地域情報エージェント株式会社
那覇(航空写真)/国際通り、安里、牧志周辺 : 那覇市歴史博物館を一部引用し加工。
- 那覇まちのたね通信 | 大越デパート前(昭和33年(1958) 4月15日、左に大宝館が見える)
- 那覇まちのたね通信 | 那覇 国際通り 大越百貨店前(1960年)
“Rx Mid-1950s 16mm VINTAGE NAHA CITY, OKINAWA “BLACKIE-SAN" svFilms” の4:30ごろから大宝館が映っているが、このころ(1954年)には大越は存在せず、右側には青空が広がっている。
階段をつかった展示
沖縄三越では時々階段部分を利用した展示会が開催されていました。もっとも私が覚えているのは主に復帰後なのですが。
下記はそれらの様子へのリンク(沖縄公文書館)。
屋上に網が見える写真
東京オリンピックの聖火が走っている写真。大越が3+1階のように見える。屋上に鳥かごのような網。
もしかしたら屋上は遊園地になっているのかもしれません。
撮影日時:不明 / 所有者:那覇市歴史博物館
那覇市歴史資料室収集写真/戦後/ 東京オリンピックの聖火、那覇へ / 「『写真でつづる那覇戦後50年』 P47・写真番号119参照/(1964)
配信元:那覇まちのたね通信
事業主体:NPO法人ちゅらしまフォトミュージアム・地域情報エージェント株式会社
店内写真?
前後の写真が平和通りと東宝劇場・大越ですので、大越店内だと推測される写真です。
当時の外観。
キネマ探偵団 沖縄映画興行伝説 P5(1960〜1972)によると、「’63年6月に『大宝館』の改装工事が始まり、12月に完成。『沖縄東宝劇場』として開館する」とのことで、このころは既に東宝劇場になっています。
1970年に増築
増築・改装し沖縄三越となるのは10月10日です。オキナワグラフ 1970年10月号別冊でも10月10日。
1970年10月10日新装開店地下2階地上8階建物総面積9000㎡、売り場面積4990㎡
下記写真に増築中の大越が映っています。増築位置は朝日商会(カクイワタ)と大宝館のあった場所。手前の白い4階建が元の大越。
分類名: 内外交流
写真解説: 万国博世界統一マーク制定記念日本一周パレード
撮影地:
撮影日: 1970年 3月 6日
備考:
資料コード: 0000108837
写真番号: 035717
大越増築中の航空写真。元々あった大越をそのままに、西側の東宝館(大宝館)・カクイわたの建物の部分を追加しています。那覇のデパートは三越も山形屋もリウボウも増築を重ねていて、面白い内部構造になっていました。
整理番号 MOK701
コース番号 C11
写真番号 11
撮影年月日 1970/05/12(昭45)
撮影地域 那覇
撮影高度(m) 1500
撮影縮尺 10000
地上画素寸法(cm)
カメラ名称 RMK
焦点距離(mm) 153.340
カラー種別 モノクロ
写真種別 アナログ
撮影計画機関 琉球政府
市区町村名 那覇市国土交通省 地図・航空写真閲覧サービスより引用し、加工
下記写真・動画には新旧の建物が並んで写っています。
増築後の屋上から見た国際通りの写真が下記。写真にも少し映っているように、屋上にはゲームコーナーがありました。
国際通りの向かい側に見える3階建ビルは南陽相互銀行ビル。このビルは後に鞄屋になり、今はSAMSのステーキ屋になっています。
オキナワグラフ 1970年10月号別冊が増築後の三越特集です。P.3の外観図はお試しでも読めます。右側に旧店舗がちょこんと残っています。
P.21にフロアマップ、P.22-23に各フロアの案内が掲載されています。屋上遊園地にはモノレールがあったと書かれているけど記憶にないなあ。
フロアマップには書籍コーナーがないのだけど、一時期は小規模な書店があったような記憶があります。
(向かいに球陽堂、後年はMAXYに本屋があったので、三越に書店がある必然性は薄かったと思います)
増築したとはいえ、まだ手狭だったため隣接する那覇タワーにも連絡通路経由で店舗がありました。
(通路は6Fの他にもあったような記憶があります)
沖縄三越の大改装により沖縄東宝劇場がなくなる1990年までつながってましたよ。RT @PubSheKnows: マキシーと三越の映画館が繋がってたって噂は本当ですか?RT @shigerootbeer:三越に入っていた沖縄東宝劇場RT @kyankyankyan
— 花猫風月 (@shigerootbeer) August 14, 2011
那覇タワー
(2F)のは歯科、スタジオNo.1/(3F)空白/(4F)ヴィクトリア/(5F)松永光新法律[事]、理容室B&B、オートクチュールオーロラ/(6F)三越呉服売場/(7F)パブマリーナ、那覇タワーホール、中華料理龍園、都/(8F)イタリアンレストラン ポポロ、ビヤガーデン ニュートーキョー
(17F)スターライト/(19F)フィジー
(強調部分は私による)
下記は 8:03〜 旧三越・那覇タワー・むつみばし歩道橋の動画。
沖縄東宝劇場
沖縄三越 – Wikipediaによると『5月1日 本店2階に東宝系映画館「沖縄東宝劇場」が移転オープン』とのこと。上に引用した建築中写真(1970年3月6日)の撮影時点では鉄骨しかないので、かなりの突貫工事だったのでしょうか。
5月1日オープンは沖縄映画興行伝説の記載ともほぼ整合します。
’70年には大越百貨店(約半年後に沖縄三越となる)の建物の一部(2F〜4F)に新装オープン。
2階の入口まで長いエスカレーターが設置されたことから、“エスカレーター劇場”とも呼ばれた。また、沖縄三越の建物と一体化した劇場であったことから、世間では“沖縄東宝劇場”という名称よりも“三越の映画館”の方が通用した。
東宝の『ゴジラ』シリーズの封切館であったため、当時の子供たちにも大人気の劇場であった。
上記引用にもあるコジラ映画やSFモノを見た記憶があります。戦国自衛隊・復活の日もここだったような。
最後にみた映画は何だったろうか?
復帰後の三越
復帰後、三越の近くには国際ショッピングセンター・マキシー・フェスティバル・ダイエー・(ゲームインナハ)が立ち並んだ。若者はそちらにいくんだよね。
このころの三越の中には書店も無かったと思う(情報募集中)。
国際ショッピングセンター・那覇タワー完成後の空中写真。東側の部分は旧大越のまま。
整理番号 COK771
コース番号 C58
写真番号 7
撮影年月日 1977/12/13(昭52)
撮影地域 沖縄本島
撮影高度(m) 1600
撮影縮尺 10000
地上画素寸法(cm)
カメラ名称 RC10
焦点距離(mm)
カラー種別 カラー
写真種別 アナログ
撮影計画機関 国土地理院
市区町村名 那覇市国土交通省 地図・航空写真閲覧サービスより引用し、加工
表通りにあった店舗
昔は天津甘栗、後にはダンキンドーナツがありました。
撮影日時:1978年 / 所有者:那覇市歴史博物館
交通法変更(730)/変更前の三越前
配信元:那覇まちのたね通信
事業主体:NPO法人ちゅらしまフォトミュージアム・地域情報エージェント株式会社
A&W もありました。後に向かいの国際ショッピングセンターに移転。長い休みを経て三越隣に復活したのは記憶に新しいと思います。
「A&Wレストラン」によると「沖縄三越店 1973年3月10日開店、閉店時期不明」とのこと。
- A&W Okinawa さんのボード「A&W ARCHIVES」のピン | Pinterest(店内写真)
- A&Wの歴史 | A&W沖縄( https://www.awok.co.jp/wp02/wp-content/themes/fcvanilla/img/history/img_04.jpg に三越店オープンの宣伝写真)
- (2) A&W_OkinawaさんはTwitterを使っています 「《懐かしいA&Wシリーズ》
1991年に増改築
1970年の増床で県内最大規模になったのも束の間、リウボウと山形屋が相次いで増床し再び3位に戻ってしまいます。
それに対抗するために旧店舗を取り込む形で1991年に増改築し、ほぼ現在の姿となります。沿革には「1991年 (平成3年) 4月29日 本店を増改築してオープン 5,956平方メートル→11,784平方メートル」と記載されています。
(旧店舗と沖縄東宝劇場の存在は現在もフロアレイアウトに不自然な部分として残されています)
この増築により新旧部分の高さが揃い、大越の痕跡は消滅してしまいました。
旧店舗部分を拡張したあとの空中写真。MAXYに沿うように奥に伸びた。
整理番号 OKC931
コース番号 C49
写真番号 8
撮影年月日 1993/08/29(平5)
撮影地域 沖縄本島
撮影高度(m) 1700
撮影縮尺 10000
地上画素寸法(cm)
カメラ名称 RC10
焦点距離(mm) 152.200
カラー種別 カラー
写真種別 アナログ
撮影計画機関 沖縄県
市区町村名 那覇市国土交通省 地図・航空写真閲覧サービスより引用し、加工
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コメント一覧
権利者があと10年は譲渡できないといっていることから、沖縄三越、はぴなはに続く第3の商業施設として当分残るようです。この際だから地下1階をりうぼう食品店にしてそれより上は再開発のための仮店舗(最初はむつみ橋再開発)にすべきと思います。ただしその前に耐震調査が必要です。
からやさん、こんばんは。
あの建物は増設部分も含めて復帰前に建てられたものなので、耐震基準を満たしているか怪しそうですよね。那覇市の「要緊急安全確認大規模建築物の耐震診断結果の公表について」には含まれていないけど。