沖縄の昔の写真を探して(リウボウ編)

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最初はリウボウから。私が子供のころ(1970年代ぐらい)の百貨店は今とは違った存在感があったように思う。遊園地があったり、科学展示会があったり、当時最先端のおもちゃを売ってたり。そういう話を交えながら少し書きます。

タイトル部分がリンクになってる場合は、そこを押すと写真に飛びます。
(那覇まちのたね通信がリンク切れになっているのと、沖縄公文書館が写真URL変更したようで飛べないリンクもあります。時間を見つけて直す予定)


まずは薀蓄

現パレットくもじの斜め向かいにあった旧リウボウ。今は立て替えられて、今はREXA RYUBOになっている。取り壊される直前はベスト電器那覇店でした。ベスト電器はまだ覚えてる人も多いんじゃないかな。「りうぼう」と書いて「りゅうぼう」と読みます。沖縄の昔の会社は「リウ」って書いて「りゅう」って読むのが多い。

旧リウボウ(ベスト電器那覇店)時代に行ったことのある人は、エスカレーターの向きが3Fまでと4F以上で違っていたことを覚えているだろうか? 1F-3Fまでのエスカレーターは国際通りと平行に店舗の中央にあるのに対し、3F以上は国際通りと垂直に店舗の北側を通っていた。また、そのエスカレーターを境に国際通り側と反対側で店の作りが微妙に違うように感じなかっただろうか? なぜかフロア内に段差があって階段があったり。

(1階〜3階まではa、3階〜6階はbの位置にエスカレータがありました。Eはエレベーター)

これはリウボウが増築された歴史の名残りだ。それまでリウボウビルは3階建て。1971年10月1日に増築オープンされて、3Fまでと4F以上の作りが異なっている。増築オープンの広告はオキナワグラフ電子書籍版1971年11月号で見ることができる。三越や今はなき山形屋も何度も増築されて、いろいろと継ぎはぎが残っていました。

取り壊し中の写真の角度から見るとわかりやすい。ビルの壁が折れ曲がっているあたりが新旧の境目です。

RYUBO ONLINE 企業情報

本家のサイト。後半に写真がいくつか掲載されている。
1つめが設立当初、2,3は復帰前の久茂地時代、4番目は増築記念(1971年)だと思われます。

歴史

1948年7月2日、琉球貿易商事会社の設立 (沖縄公文書館:資料画像 (R00000603B))。

当初琉球貿易商事株式会社として1948年7月に設立され主に海産物の輸出に従事していたが、1950年4月より貿易庁による輸入品の入札販売の開始に伴い日本製品の仕入販売に重点をおき、更に1951年2 月に民間方式による輸入貿易が開始されると欧米繊維・雑貨の輸入販売を主たる業務とするようになった。1952年11月に神里原通り琉金ビルニ階に直売店(165)を設置し本格的に外国製品の取扱いを開始した。民間貿易開始に伴って日本製品は急速に流入し出回わっていたが、外国製品はPX流れ品のみであったので、米国製品の輸入品はよく売れたし、山形屋やヤミ市と競合することもなく有望視された。「民間の
PX」というイメージが消費者から受けたという。そして1954年4月に「民間のPX」というイメージを強く残しながら百貨店として神里原から国際通りに新築移転した。

リウボウは「ジョートー」「ハイカラ」というイメージは今も残っていると思います。

Wikipediaのリウボウの項目には崇元寺通り・神里原時代のことは書かれていません。

残念ながら企業情報|沖縄のデパート リウボウ オンラインには細かいことは書かれていません。写真に1階建てのリウボウがありますが、これは琉金ビル移転前だと思われます(崇元寺時代?)。

今は消えてしまっているリウボウ通信の過去記事では、「旧リウボウは1954年に現在の1F部分が完成し」ということで、元々は1Fだけだったという話ですが、「1953年リウボウ建築中と思われる写真」を見ると1953年の建築時点で2階まであるように見えます。また久茂地移転前は神里原にあったようですが、その時代も「神里原でのスタート時はマルキンデパートの二階にあった」とのことなので、平屋ではなさそうです。

増築の過程

CiNii 論文 –  沖縄県における大規模小売商業の史的展開 : 百貨店の歩み」の73ページに(リウボウは)「1952年11月に神里原通り琉金ビルニ階に直売店を設置」とあります。また、この論文によると「リウボウも1963年(S38)11月に第二期拡張工事が竣工し地下1階地上3階(中略)エスカレーター2基を新設した。次いで1968年(S43)12月に創立20周年を迎えて第三期拡張工事を完成し、3、4階増築」とあります。また83ページのグラフから、1959,1963,1968,1971に拡張があったことがわかります。

下図のAが開設当初のリウボウ。後にB+C部分を増床、さらにB部分は6階建になりC部分にはタワーが作られた。A部分も当初は2階建であったが、後に4階まで増築されている。

建築中から取り壊しまで一通りの写真は揃いましたが、フロアレイアウトや建物の中の写真が見つかれば、もっと色々なことがわかりそうです。

崇元寺時代 -1952/10?

崇元寺時代の写真は企業情報|沖縄のデパート リウボウ オンラインしか探せませんでした。当時の地図から推測すると、現在の大道中央病院のあたりにあったと思われます。

最新那覇市地圖 1951年7月1日発行

沖縄主要地主要商工年鑑 1952年再版 実業と文化建設社発行

神里原時代 1952/11-1954/6

リウボウは久茂地に移転する前は神里原にありました(地図→グダグダ(β) マルキンデパート・リウボウ・山形屋)。

動画「Rx Mid-1950s 16mm VINTAGE NAHA CITY, OKINAWA “BLACKIE-SAN” svFilms 480px 1.avi」の冒頭に出てくる建物がリウボウが入居していたリウキンビルです(動画撮影時点では久茂地に移転済み)。

Rx Mid-1950s 16mm VINTAGE NAHA CITY, OKINAWA “BLACKIE-SAN” svFilms 480px 1.avi




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Copyright WBM2012

繁華街だった頃の神里原。大洋劇場奥がリウキンビル。

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WBM+Tsuha+ZUKERAN “Blackie-San” Okinawa Project copyright 2016

1952年頃まで神里原通りにあった山形屋 : 那覇市歴史博物館

左奥がリウキンビル。


建築中

A部分の建築中です。久茂地が解放されてしばらくのころでしょうか。一号線から先は建物もまばらです。

1953年リウボウ建築中と思われる写真

A部分を県庁側から見ると雰囲気の異なる2つの面が見えるのですが、別々の建物ではなく一体として作られていたことがわかります。

第一期:1954/6~1959(2階建て時代)

リウボウは1954年6月に神里原から久茂地に移転しました(まちあるきmap/「山田實展 人と時の往来」関連催事「まちあるき」)。

本日開店(午後1時)

那覇美栄橋町
政府前十字路
OSSリウボウ
営業時間午前10時-午後8時

沖縄タイムス 1954年6月26日広告

このころはA部分だけの2階建です。

リウボウ付近 : 那覇市歴史博物館

“1953/08”となっていますが、移転の時期からするとちょっと変。1954/08だと思います。

Phil Roeder (lots of comments to catch up

この当時(1954年)にはかなり貴重なはずのカラー写真! なんでこんな写真が残っているんだろう? 

これを見ると元々は3階建てどころか2階建てですね。そうか、それであんな構造なんだ…

企業/旧リウボウ : 那覇市歴史博物館

正面からの写真。“1955年代”となっている。

IMAGES OF OKINAWA AFTER WORLD WAR II – NAHA

ハワイ大学のイメージライブラリ。1956年の写真。この写真で空き地になってる部分は後にリウボウが増築される部分のはず。次の項の写真と見比べてみるといいです。

国際通り(リウボウ前) : 那覇市歴史博物館

増築予定部分が空き地。

昭和32年(1957) 2月 旧リウボウ・立法院・琉球政府

これも2階建て時代。

リウボウ付近 : 那覇市歴史博物館

後に沖縄教版になるあたりが空き地。手前の現在みずほ銀行のあるあたりも。

沖縄タイムス あんやたん No:C_154620 1957年12月16日撮影

空撮写真。二階建ての屋上に謎の小屋があります。リウボウ向かいのニッセイビル(旧琉球生命ビル)はまだないが、後の沖縄教販の建物も隣に既にあります。

琉球政府前からの撮影

拡大すると壁面に「リウボウ OSS Ryubo」の文字が見える。

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WBM+Tsuha+ZUKERAN “Blackie-San” Okinawa Project copyright 2016

那覇市歴史資料室収集写真/戦後 リウボウ、沖縄銀行、朝日商会

後に建て増しされる部分が空き地の時代。

那覇市歴史資料室収集写真/戦後/(1960年前後)沖縄銀行、リウボウ

そばの空き地の看板が「リウボウビル建(築予定地)」に見える。このころビルを建て増しして、1971年に増築したのかな? 観覧車ができたのはいつだろうか?

オキナワグラフ 1971年6月号 P7

1950年代のリウボウ。2階建て。

政府庁舎から見たリウボウ(1963年) – 沖縄県公文書館

2階建て時代。隣は空き地です。というか、那覇市街が半分ぐらい空き地ですね…これ、年代間違ってるんじゃないかな?  他の1963年の写真と差がありすぎです。1950年代じゃないかな、これ。


政府庁舎から見たリウボウ前 / 1963年
琉球政府関係写真資料 206
沖縄県公文書館所蔵写真

第ニ期:1959~1963(2階建て+2階建て時代)

B部に増床した時代です。オキナワグラフ 1961年1月号の広告から、B部分は地上2階地下1階だったと推測できます。地下にお菓子工場があったんだよな。


撮影日時:不明 / 所有者:那覇市歴史博物館
旧リウボウデパート
配信元:那覇まちのたね通信
事業主体:NPO法人ちゅらしまフォトミュージアム・地域情報エージェント株式会社

撮影日時不明になっていますが。これも2階建て+2階建て時代だと思われます。国際通りからの撮影。手前の街路樹は1960年に植えられた柳だと思われる(週刊レキオ ~LEQUIO WORLD~)。

旧リウボウデパートのクリスマス歳末セール : 那覇市歴史博物館

上記写真よりやや後か。

Military Police on Okinawa – President Eisenhower visited the island in 1960

1960年にアイゼンハワー米大統領が沖縄を訪問したときの写真。県庁前を写した写真にリウボウが写ってる。このときはまだ観覧車はないようだ。

(余談だが県庁前のリウボウや平和通り向かいの三越に比べて、山形屋や東西百貨店はあまり写ってないんだよねえ。百貨店格差?)

<34>アイゼンハワー米大統領来訪 1960年6月19日(日)」(新報アーカイブ・あの日の紙面)に記事。

オキナワグラフ 1961年1月号

リウボウ・大越・山形屋の広告。2階+2階時代。フロア説明から地下があったことがわかる。たぶん増築された2階部分に地下がある。フロア説明に「公衆電話」と書いているのが時代を感じさせる。

琉球政府庁舎全景 1961年9月

手前にリウボウ屋上。遊園地の類は見えません。

那覇まちのたね通信


撮影日時:不明 / 所有者:那覇市歴史博物館
那覇市歴史資料室収集写真/戦後/(1960年頃)
配信元:那覇まちのたね通信
事業主体:NPO法人ちゅらしまフォトミュージアム・地域情報エージェント株式会社

「那覇(遠景)/行政府より那覇市内を望む」とあります。1960年ごろとなっています。リウボウ前に謎の小屋。

那覇まちのたね通信 | 企業/旧リウボウ(県庁前交差点)


撮影日時:1961年 / 所有者:那覇市歴史博物館
那覇市歴史資料室収集写真/戦後/(1961頃)
配信元:那覇まちのたね通信
事業主体:NPO法人ちゅらしまフォトミュージアム・地域情報エージェント株式会社

1961年ごろ。2+2階建て。屋上にはなにもない。

近代建築物が建ち並ぶようになり、復興もだいぶ進んできた。/(1962)

ビル建て増し後の写真。2階+2階。屋上遊園地なし。
角の建物はまだ沖縄旅行社ではない。

那覇市歴史資料室収集写真/戦後/(1965頃)

2階+2階。屋上遊園地なし。


撮影日時:1965年頃 / 所有者:那覇市歴史博物館
那覇市歴史資料室収集写真/戦後/(1965頃)
配信元:那覇まちのたね通信
事業主体:NPO法人ちゅらしまフォトミュージアム・地域情報エージェント株式会社

第三期:1963~1969年

2階建て+3階建て。B部分が3階まで増床されました。「CiNii 論文 –  沖縄県における大規模小売商業の史的展開 : 百貨店の歩み」によると「リウボウも1963年(S38)11月に第二期拡張工事が竣工し地下1階地上3階(中略)エスカレーター2基を新設した」時期です。Twitterの沖縄都市モノレール情報(公式)さんは「リウボウが県内初のエスカレーターを設置した時、子供たちが殺到、店員が客を優先し、合間に子供を乗せてました」と書いています。

行政府屋上から見た那覇市 沖縄銀行 文教図書 リウボウ – 1963年 5月24日

2階建部分と3階建部分の高さの差がはっきりわかります。3階建部分には遊園地(観覧車)が見えます。


庁舎から見たリウボウ前 沖縄銀行 / 撮影日: 1967年
琉球政府関係写真資料 087
沖縄県公文書館所蔵写真

REMEMBERING OKINAWA HISTORY – THE UNITED STATES ADMINISTRATION PERIOD 1945 TO 1972

個人で昔の沖縄の写真を収集しているサイト。膨大な写真や絵葉書があります。

NAHA AND SHUREI – Page 1 of 2は絵葉書。25,31,34枚目に旧リウボウが載っています。

どの写真にも観覧車が写ってますが、これも貴重な記録。昭和ノスタルジック百貨店にもリウボウ観覧車の写真はないらしい(観覧車通信)。

「沖縄・国際通・りうぼうの観覧車」 – オニャンコポンな絵葉書たち – Yahoo!ブログ

屋上の風景が写っている貴重な写真。
東京オリンピックのころ(1964年)の写真と推測できるので、2+3階建てになった直後ぐらいか。

「日本大学吹奏楽研究会」と読めそうな横断幕がある。吹奏楽の部分が怪しいのだが、仮にそうであれば「日本大学吹奏楽研究会 活動年表」に記載されている「昭和39(1964)年 初の沖縄親善演奏旅行.当時沖縄はまだ返還されておらずパスポートが必要だった.以後沖縄返還まで実施される」のことと推測できる。

下の写真、リウボウ向かいにはまだ琉生ビルがなく、土産品店(観光堂?)になっている。

オキナワグラフ 電子書籍版1964年10月号

5ページの聖火の右に写真リウボウ。二階の屋上に人が鈴なりになっている。

Panoramio – Photo of 1964年当時の国際通り

リウボウ前を馬が歩いています。

東京オリンピック記念若人の森建設沖縄大会 本土代表団市内パレード 1966年 1月 6日
右後方にリウボウ。観覧車が見える。

(2) Yeah… I Lived In Okinawa.

1964年の広告。屋上遊園地(Roof play garden)、Chinese Restaurantなど。

那覇市歴史資料室収集写真/戦後/現・パレット前交差点。/(1960年代後半)

右端にリウボウと観覧車、屋上遊園地。遊園地の遊具が見える。
少年会館が建築中なので年代は特定できそう。少年会館は1966年にできたらしい。

那覇警察署前の道路 – 1967年 5月
那覇警察署前の道路 – 1967年 5月

角の建物が沖縄旅行社になっている。

庁舎から見たリウボウ前 沖縄銀行 – 1967年

屋上に遊園地らしきものが見えます。鉄塔のように見えるのは、もしかして観覧車? 庁舎から見たリウボウ前 沖縄銀行 ニッカウヰスキー - 1967年の写真はもう少しはっきりしてる。かなり小さかったのかも?

昭和38年(1953) 4月1日 立法院にて教公二法阻止行動

教公二法阻止行動は1967年2月ですので、年代が変。観覧車が写ってます。2+3階時代。「大飯店 3階」の文字が見えます。この写真を見て、外階段があったことを思い出しました。妙な位置にあったんだよね。


撮影日時:昭和38年(1953) 4月1日 / 所有者:NPO法人ちゅらしまフォトミュージアム
昭和38年(1953) 4月1日
立法院にて教公二法阻止行動
配信元:那覇まちのたね通信
事業主体:NPO法人ちゅらしまフォトミュージアム・地域情報エージェント株式会社

Okinawa’speople&country

観覧車が綺麗に映っているカラー写真。
これからするとそれほど大きくないですね。7-8mぐらい?

第四期:1968~1971 4階建て+3階建て時代

A部分は4階まで増床されました。時期が短いため写真が探せていません。

第五期:1971~ 4階+6階建て(+タワー)時代

B部分が6階建になり、C部にはタワーもできました。以後、取り壊されるまでこの形のままでした。

琉球政府からの風景 : 那覇市歴史博物館

増築部分建築中写真。“(1962)”と書かれているが誤りだと思う。かと言って1972年でもおかしい。1970年か1971年だと思われる。この写真を見るとA部分は4階建のように見える。

オキナワグラフ電子書籍版1971年11月号

試し読みから42ページに10月1日増築オープンの広告。とんがった部分には展望室があったことがわかる。当時の私も登ったことがあると思うが記憶に残ってない。屋上には遊園地があって、列車に乗ったことはかすかに覚えてる。

5Fに書籍コーナーがあったんだな。これもかすかに記憶にある。

催しもの会場では時々科学関連の展示が行われていて、地球の歴史(大陸移動説とかここで覚えたような)、南極観測とかの展示を見た覚えがある。こういうのも誰かの書棚に資料が残ってるんじゃないかな…

オキナワグラフ 1971年12月号 42P に増築記念大売出しの記事

「地上12階のタワーを含め4階~6階の増築が完工したデパート・リウボウ」
「54年6月現敷地に店開き」
「1期、2期、3期と店舗拡張を行なってきた。今度の工事は第4期に当たり」

とあるので 2階建て→2階建て+2階建て→2階建て+3階建て→3階建て+3階建→(4階建て+3階建て?)、と推移した後に4階+6階建て(+タワー)になったことが裏付けられます。後方に1-2F間だけ踊場の多い階段が見える。

那覇 国際通り リウボウ – 1972年 3月

右端奥にリウボウ。屋上のレールが見える。

オキナワグラフ 1973年1月号

沖縄風船旅行と題して各地の写真。試し読みから14ページに増築後のリウボウの写真が写ってる。屋上の遊園地が見える。

旧リウボウの店内 – 1977年11月

店内写真は貴重。これは1Fかな?


撮影日時:1977年11月 / 所有者:那覇市歴史博物館
旧リウボウの店内
配信元:那覇まちのたね通信
事業主体:NPO法人ちゅらしまフォトミュージアム・地域情報エージェント株式会社

那覇市歴史資料室収集写真/戦後/(1996/02)

ベスト電器時代。1Fのダンキンドーナツが懐かしい。

那覇市国際通り県庁駅前商店街振興組合

ベスト電器時代の周辺写真。

2004/04/27

ベスト電器時代。お土産品店がまだ少ない。

K3100020

パレット久茂地からベスト電器那覇店
手前のおきなわ屋と比較するとわかるけど、2階建てだった部分も増築されている。

2006年9月。取り壊される直前なのかな?

こちらが取り壊し中その2

以上。リウボウ完成から取り壊されるまで、でした。

やっぱり、1980年代が手薄なんだよね。復帰前と最近は手に入りやすい。

店内写真

写真以外の小ネタ

  • エレベータそばの階段は1-2F間だけ段数が多く、妙な踊場があった(1Fの天井を高くするために、百貨店にはこの作りが多かった)
  • お菓子が回る円卓が地下にあった(47samuraizさんのtwitter)

コメント

  1. からや より:

    第4期は、前方が2階建てから4階建てになったのではないでしょうか。また、4階は事務所や倉庫として使われたのではないでしょうか。
    といいますのも、百貨店時代からわした、ベスト電器と4階まで行く機会は多かったのですが、4階は国際通りまでは途中まで(1968年完成の4階部分の半分くらい)しか一般人は行けなかった記憶があります。3階より下は国際通りの壁まで行けていて、百貨店時代は喫茶店がありました。