沖縄こどもの国の開園はいつだったのか
来年(2020年)は沖縄こどもの国の開園50周年だそうです。そういえば、こどもの国っていつごろ開園したのだろうか? と思って検索してみたら、Wikipediaにこんな記事がありました。
沿革
1972年4月19日 本土復帰記念事業の一環として、「沖縄こどもの国」誕生。
1972年開園では50周年になりません。Wikipediaは色々と問題があるのですが、それにしても妙な記事だな、と感じました。
目次
本当の開園日は1970年5月5日
この件については、昔の沖縄を写した8mmフィルムを収集されている真喜屋さんが、既に調査されていました。1970年5月5日が正しい開園日です。これなら来年2020年に50周年になります。
ちなみにwikipedeiaの「沖縄こどもの国」には1972年開園とされていました。私も一瞬、それで原稿を書いたのですが、記憶と違うのであらためて新聞を確認したところ、1970年5月5日が開園日でした。
たとえば、沖縄タイムスのフォトギャラリーあんやたんでも1970年5月5日が開園日となっています。
琉球新報の『最新版 沖縄コンパクト事典』では1970年5月です。
沖縄市胡屋にあるレジャー施設。1970年5月開園。動物園やふるさと園、世界爬虫類センターなど人気を集めた。島田懇談会事業を取り入れ、未来ゾーン建設が進められている。英名OKINAWA ZOO。
念の為、図書館で過去の新聞記事を調べてみましたが、開園は1970年5月5日で間違いありません。
追記: オキナワグラフ1970年7月号P.8にも開園記事あり。「引き続き第二期工事に着手する」とある。
なぜ1972年開園説が存在するのか?
1972年と書かれている記事は数多くあります。Wikipediaを丸写ししたと思われる記事もありますが、そうではないものもあります。そもそも、Wikipediaの筆者はどこから1972年説を採用したのでしょうか?
Wikipediaの沖縄こどもの国記事は2006年3月10日(金)09:46が初版なのですが、それ以前の1996年沖縄市議会定例会議事録にも「昭和47年(1972年)4月19日に開園」と書かれています。1972年説にも一定の根拠がありそうです。
次にこどもの国の整備拡充についてお伺いいたします。沖縄こどもの国は昭和47年4月19日に開園しております。沖縄県の本土復帰記念事業として沖縄協会の前身である南方同胞援護会がこの事業を推進して、国、県、市の資金協力のもとにこの施設ができています。20年過ぎた今日、施設の充実はどうなっていますか。施設の拡大はどうなっていますか。
第199回 沖縄市議会定例会 – 会議録表示(平成8年6月26日(水)午前10時開議)
さて、過去の情報を求めてarchive.orgを掘っていたら、沖縄こどもの国の運営者である財団法人沖縄こども未来ゾーン運営財団の昔のページが見つかりました(2004年2月のページ)。こう書かれています。
財団法人沖縄こどもの国は、昭和47年4月19日に開園しました。
沖縄県の本土復帰記念事業として、沖縄協会の前身である南方同胞援護会が地元関係者の強い要請を受けて、この事業の推進にご尽力され、日本政府を始め、沖縄県・沖縄市の資金援助、そして(財)日本自転車振興会、(財)日本宝くじ協会、(財)日本船舶振興会、他、各種団体の御寄付により設立された施設です。
明確に「昭和47年4月19日に開園しました」と書かれています。文章の内容から察するに、これを下敷きにしてWikipediaの記事が書かれたのでしょう。
「昭和47年4月19日に開園」とは?
先のページは、消滅するまで開園日時の記述は変わっていません。間違っているのなら誰かが気づいて訂正しそうなものです。また、沖縄市の議事録にもあるように「昭和47年4月19日に開園」説には一定の根拠があるようにも思われます。
そう考えてもう一度文章を熟読して気がつきました。この文章は「沖縄こどもの国は昭和47年4月19日に開園」ではなく、「財団法人沖縄こどもの国は、昭和47年4月19日に開園」と書かれています。
そう、この文章は沖縄こどもの国の開園日を書いたものではなく、復帰直前に設立された「財団法人沖縄こどもの国」の開園日(正確には設立日)を書いているのです。
元々は沖縄こどもの国は南方同胞援護会が作ったものですが、復帰に当たって運営のための財団法人を設立し、開園したものだと考えられます。
ノンタン工房の件の裁判資料に経緯が書かれていました。なお、下記文章で昭和43年5月5日とあるのは、昭和45年(1970年)の誤りだと思われます。
(1) 沖縄こどもの国の設立から解散まで
ア こどもの国は,沖縄県の本土復帰以前,沖縄の子供たちに,楽しい遊び場と社会教育の場としての施設を提供する目的で,日本政府によって設立された特殊法人南方同胞援護会(以下「南方同胞援護会」という。)が設置し,昭和43年5月5日に仮開園した。その後,沖縄県の本土復帰に伴って南方同胞援護会が解散することになり,昭和47年4月19日に設立された沖縄こどもの国が,南方同胞援護会からこどもの国の遊園施設等の資産等を引き継ぎ,その運営する遊園である こどもの国において,動物園,水族館,爬虫類園等の施設を運営することになった。
仮開園という意識
沖縄公文書館の資料紹介記事にこどもの国について書かれたものがあります(「沖縄こどもの国」の建設 – 沖縄県公文書館)。この記事はWikipediaを参考に書かれたようで「南方同胞援護会を中心に建設が計画され、1972年4月にオープン」となっていますが、興味深いのはそこで参照されている琉球政府資料です。
この1970年4月27日付の御案内には次のように書かれています。『さて、かねてからコザ市に建設中の「沖縄こどもの国」は来る五月五日(子供の日)を記念して仮開園することになり』 『つきましては、左記により仮開園式を行いたいと思いますので』。どうやら、1970年5月5日の開園は「仮開園」だったようです。
(先の裁判資料にもさりげなく「仮開園」と書かれていましたね)
沖縄公文書館 資料画像 (R00083627B)(75ページを元にトリミング)
沖縄こどもの国の開園10周年記念誌(1981年12月10日)にも、こう書かれています。
財団法人沖縄協会専務理事 吉田嗣延
動物園、猿山、水族館、植物園、こども博物館、屋外ステージ、キャンプ場、自由広場を建設して、昭和45年5月に仮開園したのであります。
沖縄こどもの国の開園10周年記念誌 昭和56年12月10日 / 沖縄こどもの国編 / 1982.12出版(5ページ)
当時の新聞にも仮開園と書かれた記事・広告があります。
琉球新報 1970年5月5日 朝刊8面1版
沖縄タイムス 1970年5月5日 朝刊4面1版 広告
なぜ、仮開園なのでしょうか? 当時の新聞記事によると開園式典にて 「二期工事を終えたところで一般公開にはまだ十分な施設にはなっていないが、着工して二年を経ており、一応公園として開放しながら順次内容をととのえたい」と挨拶があったそうです。当時はまだまだ未完成だという意識があったのでしょう。
ところが、1972年の復帰前に一時休園・施設の拡張を行い・財団法人沖縄こどもの国に移管されたあとの開園記事には「正式開園」やそれに類する言葉は見当たりません。単に一時休園→再開園したかのように書かれています。内部の関係者には1970年は仮開園という意識があったが、一般的には1970年が正式な開園時期だと認識されていたのかもしれません。
それから50年が経過しこれらの事情が忘れられたことで、1970年5月5日が(仮ではない)開園日となったり、1972年4月19日が開園日だと考える記事もでてくるようになったのでしょう。
沿革記事はどのサイトにも欲しい
実は現在の沖縄こどもの国サイトには沿革や開園日に関する情報が掲載されていません。旧サイト(財団法人 沖縄こども未来ゾーン運営財団)には、一応の情報は載っていたにも関わらず、です。
これに限らず、開設当初のWebサイトにはちゃんと沿革が載っていたのに、リニューアルするたびに情報が抜け落ちていくサイトは多数あります。最近は最初から沿革記事のないサイトも。
沖縄こどもの国のように周年誌がある組織はまだ良いのですが、そうでない組織はどうやって歴史を伝えていくのでしょう。ちょっと心配になります。
資料
1970年と書かれているもの。
- 沖縄公文書館 資料画像 (R00083627B)
- コイのぼり掲揚式:沖縄こどもの国
- 商品詳細 | 沖縄タイムスギャラリーショップ | 沖縄タイムス+プラス
- 沖縄こどもの国 (おきなわこどものくに) – 琉球新報
1972年と書かれているもの。
- 第199回 沖縄市議会定例会 – 会議録表示(平成8年6月26日(水)午前10時開議)
- 沖縄こどもの国 – Wikipedia
- 財団法人 沖縄こども未来ゾーン運営財団
- 沖縄こども未来ゾーン 沖縄こどもの国
- 「沖縄こどもの国」の建設 – 沖縄県公文書館
仮開園と書かれているもの
- 平成15年(行ウ)第24号 違法公金支出損害賠償請求事件 判決 主 – 裁判所(「昭和43年5月5日に仮開園した」と書かれているが、昭和45年の誤りだと思われる)
- 沖縄公文書館 資料画像 (R00083627B)
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