今はなきゲームインナハについて
2012年に惜しまれつつ閉店した通称「インナハ」の話。閉店の時に書こうと思っていた記事なのですが、資料収集に思いの外 時間がかかり今頃になってしまいました。
ゲームセンター開店以前
建物ができた当時は
平和通りにアーケードができる前は螺旋階段が空に映えていた。
撮影日時:1955年頃 / 所有者:那覇市歴史博物館
たから百貨店と友寄百貨店のらせん階段
配信元:那覇まちのたね通信
事業主体:NPO法人ちゅらしまフォトミュージアム・地域情報エージェント株式会社
下記PDFを見ると、屋上ビアホール部分はあとから追加されたのかな?
私は友寄玩具店に1度行ったような記憶があります(かなりうろおぼえ)。
2Fがゲームコーナーになっていてピンボールや射的や、当時としては新しいテーブルテニスがあったような。アップライト筐体の時代です。
その後しばらくして、ゲーム用のLSIでゲーム機を自作するのが流行りました。TK-80はさらにその後。
下記は730(1978年7月30日)直前の写真と思われる。旧警察署の写真に「730まで9日」の表示がある。
この頃はまだパチンコ屋(まるとも)。
県立図書館、那覇市立図書館のゼンリン地図では下記のように変遷している。
後に引用するDee Okinawaの記事と合わせて、1978年後半か1979年の早い時期にはビデオゲーム屋になっていたと思われる。
店名がビデオからゲームに変わったのはなぜだろう?
(投資普及しつつあったエロビデオ屋との混同を避けた?、あるいは本当にビデオ屋だった??)
- 1969年版 友寄玩具店
- 1971年版 友寄玩具店
- 1972年版 友寄玩具店
- 1977年版(昭和52.3) パチンコ丸友
- 1979年版 ビデオインナハ
- 1980年版(昭和55.4) ビデオインナハ
- 1982年版 ゲームインナハ
ゲームインナハの略称が「インナハ」なのは、店名変更も理由なのかもしれない。私が行くようになった頃(1981ごろ)は既にインナハと呼ばれていたと思う。
1980年代半ばは、隣の国際ショッピングセンターやMAXIにもゲーセンがありました。
50円で遊べるちいさな店も多かった。国際通りにゲーセンが何軒あったんだろう?
改装
店内も店外も何度か改装したと思いますが、詳細はわかりません。
戦後から言えばそれこそ幾度も改装されたようですが、最後に改装したのが記憶違いで無ければ確か1994年頃。その改装後が今のインナハ。#インナハ
— 1re1 (@1re1) July 20, 2012
昔、ti-da.net にあったブログも http://innaha.ti-da.net/ でした。
2009年8月2日撮影。
店内の様子
閉店
2012年7月に惜しまれつつ閉店しました。
当時のDee Okinawaさんの記事では1970年後半からと書かれていて、ゼンリン地図の記載とは矛盾しません。
私の推測通りなら営業期間は1978-2012の34年間になります。
—ゲームインナハはいつからあるお店なんですか?
ちゃんとした年代はわからないけど、1970年後半のインベーダーゲーム時代からあるので、30年〜40年ぐらいじゃないかな。
下記Tweetの張り紙では30年になっていて、地図表記が1982年からゲームインナハになったのと矛盾しない。
(この場合、ビデオインナハ時代が何なのかは疑問として残る)
インナハ閉店はマジらしい。プレイおさめしてきた…残念… pic.twitter.com/2Sq8FO6u
— Yonashiro Yuu (@cloneko) July 18, 2012
現在は焼肉国際。螺旋階段は今も残る。
ゲームインナハ2はまだまだ元気です。Ingressのポータルにもなっています。
追記:インナハ2も閉店しました。
- 懐かしのゲーセンが閉店 「インツー」那覇 王者輩出もゲーム機、スマホの普及、消費増税で存続断念 – 琉球新報デジタル|沖縄のニュース速報・情報サイト
- さようならゲームインナハⅡ – 沖縄B級ポータル – DEEokinawa(でぃーおきなわ)
- 沖縄のゲーセン!ゲームインナハ2最後の日に密着! – YouTube
リンク
情報みつけたら追記します。
最後に
1re1さんのtweet から。
このらせん階段は一生忘れない。たぶん pic.twitter.com/oOm7WOxWPO
— 1re1 (@1re1) December 13, 2013
ディスカッション
コメント一覧
1982年のNHKのニュースハイライトに映っています。