今はなきゲームインナハについて

2015/12/19写真, 昔話, 沖縄の昔の写真, 読み物

2012年に惜しまれつつ閉店した通称「インナハ」の話。閉店の時に書こうと思っていた記事なのですが、資料収集に思いの外 時間がかかり今頃になってしまいました。

ゲームセンター開店以前

建物ができた当時は友寄ともよせ百貨店。その後、友寄玩具店、パチンコ屋を経てゲームセンターに。
平和通りにアーケードができる前は螺旋階段が空に映えていた。


撮影日時:1955年頃 / 所有者:那覇市歴史博物館
たから百貨店と友寄百貨店のらせん階段
配信元:那覇まちのたね通信
事業主体:NPO法人ちゅらしまフォトミュージアム・地域情報エージェント株式会社

下記PDFを見ると、屋上ビアホール部分はあとから追加されたのかな?

私は友寄玩具店に1度行ったような記憶があります(かなりうろおぼえ)。
2Fがゲームコーナーになっていてピンボールや射的や、当時としては新しいテーブルテニスがあったような。アップライト筐体の時代です。

その後しばらくして、ゲーム用のLSIでゲーム機を自作するのが流行りました。TK-80はさらにその後。

下記は730(1978年7月30日)直前の写真と思われる。旧警察署の写真に「730まで9日」の表示がある。
この頃はまだパチンコ屋(まるとも)。

県立図書館、那覇市立図書館のゼンリン地図では下記のように変遷している。
後に引用するDee Okinawaの記事と合わせて、1978年後半か1979年の早い時期にはビデオゲーム屋になっていたと思われる。

店名がビデオからゲームに変わったのはなぜだろう?
(投資普及しつつあったエロビデオ屋との混同を避けた?、あるいは本当にビデオ屋だった??)

  • 1969年版 友寄玩具店
  • 1971年版 友寄玩具店
  • 1972年版 友寄玩具店
  • 1977年版(昭和52.3) パチンコ丸友
  • 1979年版 ビデオインナハ
  • 1980年版(昭和55.4) ビデオインナハ
  • 1982年版 ゲームインナハ

ゲームインナハの略称が「インナハ」なのは、店名変更も理由なのかもしれない。私が行くようになった頃(1981ごろ)は既にインナハと呼ばれていたと思う。

1980年代半ばは、隣の国際ショッピングセンターやMAXIにもゲーセンがありました。
50円で遊べるちいさな店も多かった。国際通りにゲーセンが何軒あったんだろう?

改装

店内も店外も何度か改装したと思いますが、詳細はわかりません。

[zuweet url="https://twitter.com/1re1/status/226299220888526849″]

GAME IN NAHA なのですよね。INN ではなく。昔、ti-da.net にあったブログも http://innaha.ti-da.net/ でした。

20130814-tomoyose-2 2009年8月2日撮影。

店内の様子

閉店

2012年7月に惜しまれつつ閉店しました。

当時のDee Okinawaさんの記事では1970年後半からと書かれていて、ゼンリン地図の記載とは矛盾しません。
私の推測通りなら営業期間は1978-2012の34年間になります。

—ゲームインナハはいつからあるお店なんですか?

ちゃんとした年代はわからないけど、1970年後半のインベーダーゲーム時代からあるので、30年〜40年ぐらいじゃないかな。

さようならゲームインナハ – 沖縄B級ポータル – DEEokinawa(でぃーおきなわ)

下記Tweetの張り紙では30年になっていて、地図表記が1982年からゲームインナハになったのと矛盾しない。
(この場合、ビデオインナハ時代が何なのかは疑問として残る)

[zuweet url="https://twitter.com/cloneko/status/225547142637436929″]

現在は焼肉国際。螺旋階段は今も残る。

20151218-gameinnnaha-01

ゲームインナハ2はまだまだ元気です。Ingressのポータルにもなっています。

20151218-gameinnnaha-02


リンク

情報みつけたら追記します。

最後に

1re1さんのtweet から。


[zuweet url="https://twitter.com/1re1/status/411532491900469248″]