ミス沖縄コンテスト(1953年)

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1953年に行われたミス沖縄コンテストについて、Wbm Bradford氏に提供いただいた写真に日時・場所等を補足して紹介します。
提供いただいた写真のブログへの掲載・改変・利用にあたっては著作権者であるWbm Bradford氏より許可をいただいています。転載等はご遠慮ください。

主催者について

このコンテストは沖縄朝日新聞社の主催で1953年に行われたものです。上写真の右端にも「沖縄朝日新聞」の名前があります。



沖縄朝日新聞は復帰前に存在した地方紙で、日本の朝日新聞社とは関係ありません。何度も名前が変わった挙句、1958年に廃刊になりました。このころは西銘順治氏が社長。西銘氏は後の立法院議員・那覇市長・衆議院議員です。軍関係者の名前も審査員名欄にあります。

沖縄ヘラルド社創立(1949.10)→ 沖縄ヘラルドの創刊(1949.12.12)→ 沖縄新聞に改題(1951.2.1)→ 沖縄朝日新聞に改題(1951.9.17)→ 沖縄新聞に改題(1954.7.1、1957.12競売、1958年新年特集号を発行・広告料集金後自然終刊1958.1頃)


撮影日時:1951年10月 / 所有者:那覇市歴史博物館
那覇市歴史資料室収集写真/戦後/(1951/10)
配信元:那覇まちのたね通信
事業主体:NPO法人ちゅらしまフォトミュージアム・地域情報エージェント株式会社

撮影場所・時期について

1953年3月14日に沖映本館にてミス沖繩發表會が行われた際の写真です。審査員には西銘氏、安里積千代氏、稲嶺一郎氏など著名人が名を連ねています。

沖縄朝日新聞 1953年3月1日夕刊1面(個人名はモザイク処理しています)



別写真には「沖映本館」の花輪も映っています。



翌日の紙面。「軍からも祝辞」「軍作業娘」という見出しに時代を感じます。

沖縄朝日新聞1953年3月15日夕刊2面(個人名はモザイク処理しています)



会場となった沖映本館は1955年に改築されて四角い建物になりました。子供のころ、ここで沖縄芝居(逆立ち幽霊)をみた覚えがあります。その後はパチンコ屋やゲームセンターになって、閉館。現在はホテル(ブラッサム那覇)が立っています。今でもそばの道路は「沖映通り」と呼ばれています。


撮影日時:不明 / 所有者:那覇市歴史博物館
那覇市歴史資料室収集写真/戦後/同写真1枚あり/(1952-1956)
配信元:那覇まちのたね通信
事業主体:NPO法人ちゅらしまフォトミュージアム・地域情報エージェント株式会社

その他のコンテスト

社告にもある通り、このコンテストは第2回でした。第1回は1951年に行われたようですが、記事を探すことはできませんでした。翌1954年にもコンテストは開催されています。同じく1953年には料亭などで働く女性を対象としたプロ・ミス沖縄コンテストもあり、ミスコンテストは沖縄朝日新聞の人気コンテンツだったのかもしれません。こちらは料亭からの広告も見込めて2度美味しいし。

沖縄朝日新聞1953年6月25日朝刊2面(個人名はモザイク処理しています)