ベーシックマスターは何台出荷されたのか? (ドイツ戦車問題)

BASICMASTER昔のパソコン

ヤフオクを見ていると、年に何台かベーシックマスター Jr.(MB-6885)の出品がある。

稀にMB-6881が出品されることもあるが、MB-6880になるとレアである。オークションの金額も鰻登りだ。

今でもこれだけの台数が残っているからには、出荷台数もそこそこあったのだろう。ちょっと調べてみた。

Webで資料を探してみた

MB-6880の頃はパソコンの黎明期で、シェア調査の情報は乏しい。そしてほとんどの資料が同一の書籍を引用していた。
(黎明期の産業にはありがちな話である。沖縄のインターネットの成立についての資料も 私の記録の他はあまり情報がない)

その書籍は、北原正夫氏・青木良三氏による「コンピュータ業界」1982年6月発行である。中古本でも入手可能だし、国会図書館デジタルライブラリでも読める。

コンピュータ業界 産業界シリーズ No.320、北原正夫・青木良三著、教育社新書 p.128より引用

さて、その「コンピュータ業界」の p.128に「資料:『日本経済新聞』調査」としてシェアの円グラフが描かれている(図3.2 パーソナルコンピュータのシェア(国内生産量))。

それによると 1979年度のシェアは、日本電気 27.5%, シャープ 34.5%, 日立製作所 16.1%, ソード電算機システム 8.0%, アップルコンピュータ 7.5%, その他 6.3% である。

1980年度になると、日電 41.1%, シャープ 28.8%, 日立 12.3%, ソード 5.7%, 沖電気工業 2.4%, その他 9.7% になる。

そしてp.128の本文によると「一九七九年度には約四万台が出荷され、翌八十年度には一五万台、五百億円に達している」とある。

生産量と生産台数の違いがあるのだが、単純に掛け算すると、日立の出荷台数は1979年度が6,440台、翌1980年度が18450台になる。

Jr(MB-6885)は1981年12月発売(I/O 1981年12月号p.289 New Productsに記事があり、1982年1月号広告に新発売とある)なので、これらはJrより前の出荷台数になる。

I/O 1981年12月号p.289 「New Products」より

L3(BM-6890)が1980年10月発売なので、1980年度の出荷台数にはL3が含まれている。

ちなみに初代ベーシックマスター(MB-6800)は1978年6月発売(Wikipediaでは9月出荷とある)、L2(MB-6880L2)が1979年2月、L2II(MB-6881)は1979年末(I/O 1979年9月号に広告がある)である。

「パソコンとワープロの日本国内出荷台数の推移1980-1987 – コンピュータに関する歴史的=理論的研究」には、1980年度以降の出荷台数のグラフがある。それによると、1980年度が93,774台、1981年度が229,334台、1982年度が683,051台である。

先の書籍では、1980年度の出荷台数は15万台なので乖離がある(1980年度は累計139,264台とある)。アップルなど海外メーカーの分を除いても変である。


シェアや出荷台数の記事を探してみる

日経産業新聞1983年7月15日p.5に「パソコンソフト統一規格スタート(下)」という記事がある。MSX登場直前の記事である。

この中に1982年度のパソコンシェアがある。NECが圧倒的だが、富士通が猛追して日立を追い抜いている。俺もMB-6881の次はFM-8買ったもんな。

(1)日本電気四五%(2)シャープー七%(3)富士通一二%(4)ソード六%(5)日立製作所五%ーー。これは日経産業新聞が調査した五十七年度のパソコンシェア上位五社のランキングである

日経産業新聞1983年7月15日p.5「パソコンソフト統一規格スタート(下)」より引用

先の1982年度の出荷台数と素直に掛け算すると、日立製作所は34,152台になる。L3が含まれるのでJrの実数はわからないが、これが上限の目安になる。

「東北学院大学論集 (96) 経済学」p.6の「表2.日本のパソコンの台数シェア推移」があり、日立製作所のシェアは1979年16.1%,1980年12%、1981年9%、1982年5%、1983年4%である。表には(暦年)との記載があるが、他の書籍・新聞記事からすると年度の数値だと思われる。


その他、生産台数の参考になる記事として、以下のものがある。

「電子工業月報 20(7)(189) – 国立国会図書館デジタルコレクション」(1978年7月発行)のp.72によると「日立製作所 ベーシックマスターMP6880」の実績は「月産1,000台※8月発売」とある。

「超長期未来予測データー集 : 2000年にむけての国土社会の未来像 1982年版」(1982年1月発行)のp.618によると「日立製作所は1978年10月に国産メーカーとしては初めて「ベーシックマスターレベル」(本体価格18万8千円)を発売した。しかし、日立製作所はビジネス用を中心にしてきたことにより、月産3,000台程度と日本電気に比べてシェアは非常に低い」とある。

日経産業新聞1979年1月10日p.5 「日立、売れ行き好調の家庭用マイコンを本格拡販」に「今秋をメド|に家庭用マイコン (商品名ベーシックマスター)の生産を倍増し、月産2000台体制に引き上げる」とある。

コンピュートピア 1979年2月号 p.123「パーソナルコンピュータ」の「量産・価格の競争へ」の項には「たとえば、日立のベーシックマスターは月産1千台、日電のCOMPO BS/80も日産30台(月産換算750台)」となる。また「コンピュータでは考えられなかった数字が出てきているのである」ともあり、従来のコンピュータ業界との違いが伺われる。

日経産業新聞1981年10月12日p.4 「日立、来春から米にパソコン輸出」に「日立の「ベーシックマスター」の国内販売台数は現在月間三千台程度」「十二月からは十万円を切る普及型パソコン
「ベーシックマスター・ジュニア」も製品系列に加わり」とある。

日経産業新聞1981年11月2日p.1 「パソコンー転過剰」に「日立も十二月には低価格機種「ベーシックマスター・ジュニア」を市場に投入、月産を六千台にすることを決めた」とある。

日経産業新聞1981年12月28日p.8「今年のヒット商品・その秘密を探る」に「PC-8000(日本電気)は(中略)すでに販売量は累計十五万台を突破し」とある。

超長期未来予測データー集 : 2000年にむけての国土社会の未来像 1982年版の「パーソナル・コンピューター産業の概況」p.616には日本電子工業振興協会が昭和55年度から出荷実績調査を開始とあり、表29-4に出荷台数が書かれている。それによると、1980年度の総出荷台数は110,610台(国内93,774台・海外16,836台)である。p.618にはベーシックマスターについて「日立製作所はビジネス用を中心としてきたことにより、月産3,000台程度と日本電気に比べてシェアは非常に低い」とある。辛辣である。同記事では日本電気は「現在月産1万台のペース」とある。またシャープMZの輸出が1万台程度ともある。記事末に「MB-6885を発売する」とあるので、ここの月産台数はL2IIとL3の合算と思われる。

以上の記事から、ピーク時の生産台数は、L1,L2が月産2000台程度、Jrは3000台程度であると考えて良さそうである。

ヤフオクやメルカリなどの情報から推測してみる

冒頭で述べたように ヤフオクやメルカリには、いまでもベーシックマスターが出品されてることがある。その中にはシリアルナンバーが書かれているものがあって、これが出荷台数を推測する手掛かりになる。

このような問題は昔から研究されていて、「ドイツ戦車問題」と呼ばれている。

簡単に言うと、1からNまで順番に番号が振られた未知の数のアイテムが存在すると仮定する。これらのアイテムからランダムにサンプルが抽出され、その番号が観測される。問題は、これらの観測された番号からNを推定することである

German tank problemより引用し和訳



観測できたシリアルナンバーから、MB-6885(Jr)の出荷台数は約21,000台。95%程度の区間として約20,500~22,200台と推測できる。月産2,000台で2年弱作ったとしても妥当な数だと思う。

同様にMB-6880-8(初期バージョン、RAM8KB)は約3,300台(2,700~7,100台)、MB-6880L2が約3050台(2,600~5,500台)、MB-6881が約4,300台(4,100~5,300台)になる。

こちらは観測台数が少ないので。推測区間が広がっている。しかし、記事にある生産台数(MB-6880が月産1,000台)と比べると大きくかけ離れてはいない。

前述した「コンピュータ業界」の記事の数値からの推定では 1979年度が6,440台、翌1980年度が18450台。1980年度の相当数はL3なのかもしれない。


カラーアダプタMP-1710については、単純に推測すると13,500台(12,500~17,500台)になる。しかし Jr.のオプションであったことから推測すると(Jrの推定台数(約20,500~22,500台)を超えることはないので)、13,000~15,000台だろうか。Jrの半分~2/3ぐらい。結構売れてるけど、その割にはオークションで見かけないんだよなあ。



結論として、MB-6880からJrまでトータルで推測3万台強。オークションの状況をみると生き残っているのは0.5%(150台)ぐらいだろうか。


他の機種での推測

BBC Miroについて同様の推測をしている人がいた。推定生産数982,000台に対して確認台数0.27%らしい。

Commodore 64にもいる。


TK-80より売れていなかった?

TK-80は6万台も売れたらしい。ベーシックマスターL1/L2/Jr系で合計3万台だとするとTK-80の半分である。

I/Oの記事でもTK-80より少なかったし、そんなもんかもしれない。

日本でも1976年8月発売のNECのTK-80のヒット(売れても2,000台程度と考えられていた[注]のが、総計6万台も売れた)

それでも Jr.以前が推定1万台強、Jrは2万台以上売れてるので、日立家電としてはJrはヒット商品だったのだろうな。ヤフオクでもJrしか見かけないし。

資料

コメント

  1. SMC888 より:

    >発売タイミングが早すぎて技術の進歩を取り込めてないし、その後もハードウェアは更新されな>かった

    そうですね。
    古雑誌をめくってみると、色々なノウハウやプログラムが載っており、Jr以前はユーザーが活発だったのだなと思います。L1のグラフィック拡張を個人でやられていたとは凄い!
    いつか、紹介して頂けば嬉しいです。
    Jrを発展させて予算¥10万円未満の層を狙い続けても良さそうと思いますが、MSXに行ってしまいましたものね。。。Jrを拡張してMSX2並の後継機を出していたらと妄想してしまいます。。。

    • ず@沖縄 より:

      グラフィック拡張を入れるならBASICも拡張して、ROMベースで使えるようにすべきでした。
      BASIC領域の設定はCALL文だし、線を引くだけでもカセットでユーティリティを読む必要がある。1200bpsもそうでしたし。

      BM L2出荷が1979年2月で、このころはBASICに予約語を追加するのは普通ではなかったとはいえ、Jrの時点ならまだやりようはあったはずだが。
      (予約語追加できるBASICは 1978年3月のTRS-80 L2 BASICが最初だろうか?)

      L3のBASICも未完成品状態だったので、ソフト面は弱かったのかもしれません。
      モニタは良くできてるんだけどな。

      • SMC888 より:

        >グラフィック拡張を入れるならBASICも拡張して、ROMベースで使えるようにすべきで>した。

        確かにそうですね。L2やJrのベーマガ掲載作品を入力して思うのは、アクションゲームの動きが良くて遊びやすいレベルの高い作品が多く、ゲーム制作に向いている機種だと思います。当時はアマチュアのゲーム作りは、やはりBASICが主体でしたので、せっかく機能拡張してもBASICから使いにくいのでは、残念ですね。
        しかし、当時のレビュー記事では、あまり指摘されていない様ですね。

  2. SMC888 より:

    とても面白い考察有難うございました。
    「ドイツ戦車問題」!、タミヤのMMシリーズ好きなものとしては惹きつけられる文言ですが、
    そこから生産台数を推察するとは色々な学問があるものですね。
    生産台数3万と聞けば、なかなかと思いますが、生き残ってるのは150台程度と聞けば、なんとなく切ないですね。我が家のJrも大事にしていこうと思いました。

    • ず@沖縄 より:

      日立がもうちょっと頑張ってれば、と、思わせる良いマシンなんですよね。

      Jrのグラフィックは大した機能追加ではないので、これがL1のころから入っていれば
      インベーダーが動いたので売れたと思う。
      (BMUGには個人で改造していた人が何人もいたし、私もL2IIを友人に改造してもらった)

      5bit D/Aを使った音楽機能でROMを喰ってしまったのも痛くて、SN76477でも積んでいればよかったのですが、どちらも1978年なので間に合わない。

      発売タイミングが早すぎて技術の進歩を取り込めてないし、その後もハードウェアは更新されなかった(よく言えば互換性が保たれてた)のが、時代遅れに見えて、売れなかった理由だと思う

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