大相撲沖縄巡業(1959年) 波の上編

2017/04/16wbm, 昔話, 沖縄の昔の写真

大相撲沖縄巡業(1952年)」の続きです。前回は1952年の大相撲巡業(那覇市)の写真を紹介しました。

今回は Wbm Bradford氏に提供いただきました1959年の写真に、さらに日時・場所等を補足して紹介します。
提供いただいた写真のブログへの掲載・改変・利用にあたっては著作権者であるWbm Bradford氏より許可をいただいています。転載等はご遠慮ください。

撮影時期について

復帰までに少なくとも3回の巡業があったようです(1952年11月,1959年4月,1967年12月)。今回提供いただいた写真は1959年のものと推測されます。なお、那覇市歴史博物館の写真を検索したところ※1 1958/04/15,1959/04/15 の2つの日付がありましたが、これは両方とも1959年だと思われます。

※1 写真資料 : 那覇市歴史博物館を大相撲で検索

下の写真の横断幕に「(沖)縄場所開場 4月9日 13」の文字が見えます。これは4月9日〜13日までのことだと思われます。


写真特集:占領、復帰、戦後の沖縄(2009年6月掲載) - 毎日新聞」の写真には大相撲の横断幕。「待望の! 日本相撲界 栃錦・朝汐・郷土出身嶺本(以下読めない)」・「大相撲沖繩場所開場」「波の上??広場に於て 4月9日〜13日」と書かれています。上の写真と同一の横断幕だと思われます。

琉球新報は4月8日には力士の紹介、決まり手の解説など、複数面に渡って大々的に特集を組んでいます。


琉球新報1959年4月8日朝刊1,4面

横断幕では4月9日からとなっていましたが、時化の影響で遅れ4月10日開幕となっています。この日は「皇太子明仁親王の結婚の儀」により、琉球政府も休日でした。

ミナトはちょんまげ一色
  今日から沖縄場所
  シケに悩まされた沖縄航路
  正午から開場

相撲ファン待望の大相撲沖縄場所はいよいよ今日から開幕する。波の上娯楽センターの特設土俵はすべての準備を終わり会場を待つばかりとなっており、(以下略)

琉球新報1959年4月10日朝刊8面

なお、悪天候のため12日から会場はキャンプ瑞慶覧のスチルウェル軍体育館に変更になっています。

行楽日、団体で大賑わい
  大相撲沖繩場所
  栃、朝に圧倒的人気
  嶺本二勝
  きょうからズケランで

琉球新報1959年4月12日朝刊

会場について

辻町海岸埋立地(現在の波の上自動車学校、旧那覇自練)です。ここは戦後埋め立てられたあと沖にも道路が作られていて変化が多く、現在の場所との比較が難しいところです※2

※2 埋め立て前の写真が「寺院/波之上宮跡遠景 : 那覇市歴史博物館」にあります。

下は波之上宮から撮影したと思われる写真。手前の建物が支度部屋のようです。屋上も使われている。その奥が会場。さらに奥に丘と家屋が見えますが、これは現三文珠公園と料亭左馬でしょうか?
遠方の山々は小禄ですね。米軍基地返還前なのでタンクなどの施設も見えます。


支度部屋からの撮影。左奥は料亭松の下(Auguest Moon)だと思われます。

那覇(航空写真)/辻・若狭方面 : 那覇市歴史博物館」に、同じ時期の航空写真がありますので、位置関係はほぼわかります。

OpenStreetMap®を元に作成。© OpenStreetMap contributors

波の上会場の写真

新聞紙面では波の上娯楽センターに土俵を仮設したと書かれています。当時はまだ那覇自練もなく、上の航空写真でも空き地だった場所を使ったのでしょう。波之上宮北側にはプールや貸しボートがあった時代です。

下は、波之上宮入口側から会場を撮影。突き当たりに支度部屋らしき建物が見えます。右端には再建中の護国寺仮社殿。左端はやぎ写真館と天龍。


支度部屋

集合写真。右後方には波之上宮のある岩肌が見えています。

取組



1952年と同様、屋外での巡業のため悪天候には悩まされたようです。

参考リンク