琉球人の公休日(Ryukyuan Holidays)

2017/03/31昔話, 沖縄

こちらも沖縄公文書館資料からの話。復帰前の公休日についてはWikipediaでも「住民の祝祭日」に記載されていますが、これに行き着くまでには色々と変更があったようです。


(お盆が旧暦のままなのは、復帰前までの祝日制度の影響も大きかったのかも)

Official Okinawan Holidays(1947年12月8日)※1

元旦(1/1)、民政府創立記念日(民政府職員のみ,4/24)、慰霊祭(5/30)、独立記念日(7/4)、お盆(旧7/15-16)、クリスマス(12/25)が休み。

日曜日に当たる場合は翌日が休み。新暦は Gregorian Calendar、旧暦をLunar Calendarと書いている。

慰霊祭は米国の戦没将兵追悼記念日のことか?

沖縄の公休日(1947年12月12日)※2に日本語版あり。

※1 資料画像 (RDAP000005)
※2 資料画像 (R00000481B)

Declaration of Okinawan Legal Holiday(1948年2月9日)

2月10日火曜日(旧正月)を沖縄の公休日とする。他の日については記載なし。

Ryukyuan Holidays(1951年6月4日)

「琉球人の休日 – 資料画像 (R00000433B)」に日本語版がある。

3つの職種?によって分かれている。お盆や彼岸はたぶん旧暦だが明記されていない。十五夜は英文では Moon Holidayと書かれている。後年の記述から旧8月15日と推測できる。

Employees paid from Appropriated and Non-Appropriated Funds (予算資金及び予算外資金により給与を受けている雇用者)

旧正月、お盆
無給休暇: 清明祭、春の彼岸、十五夜、秋の彼岸
米国の休日(行政的免除日): 元旦、ワシントン誕生日、南北戦争記念日、7月4日、労働祭、世界大戦休戦記念日、感謝祭、クリスマス

Gunto Provisional Gov’t (群島政府)

旧正月、お盆、春の彼岸、秋の彼岸、クリスマス、新正月、群島政府創立記念日

Contractors Concessionaires and  Commercial Entrants (請負人、特許起業者、加入商人)

旧正月、お盆
無給休暇: 慰霊祭、十五夜、春の彼岸、秋の彼岸
米国の休日(行政的免除日):

行政的免除日は奄美群島公報(PDF)では、「その他取締上の理由により休日とする日」となっている。米国人が休んでしまうので琉球人もお休みということだろう。

Ryukyuan Holidays(1952年6月14日)

お盆(1952年9月4日または5日)、新正月(1953年1月1日)、慰霊祭(1953年5月30日)、十五夜(1952年10月3日)、秋の彼岸(1952年9月23日)が公休日。

米国の休日については、“The granting of United Status Holidays shall not be a matter of right, but shall be construed as tha administrative excusing of employees which shall be contingent upon the fact that services cannot be fully utilized due to lack of reqisite supervisory control.” と書かれている。

お盆休みの日は旧7月15日または16日に当たる。ウークイとその翌日。昔のウークイは夜中までやったので翌日休みにする人もいたのか、あるいは離島などへの帰郷者を考慮したのだろうか?

Ryukyuan Holidays(1953年1月28日)

春の彼岸(1953年3月21日)、お盆(1953年8月24日または25日)、秋の彼岸(1953年9月23日)、新年(1954年1月1日)が公休日。
米国の休日については前年同様の記述がある。

1954年、1955年、もほぼ同様。

お盆休みはウークイまたはその翌日。

Ryukyuan Holidays(1956年5月9日)

公休日:新年(1956年1月1日と2日)、春分(1956年3月21日)、琉球政府創立記念日(1956年4月1日)、お盆(1956年8月20日と21日)、秋分(1956年9月23日)、クリスマス(1956年12月25日)
米国の休日については特に記載されていない。1957年、1959年(1958年指令)、1960年も同様の公休日。

新年・お盆は2日とも休み。前年までは or だった部分が and になっている。ウークイの日(8月22日)が日曜日にあたるせいか、休みが前にずれていて三連休だ。

Ryukyuan Holidays(1962年1月22日)

公休日: 春分(1962年3月21日)、琉球政府創立記念日(1962年4月1日)、お盆(1962年8月14日と15日)、Labor day (1962年9月3日)、秋分(1962年9月24日)、クリスマス(1962年12月25日)、新年(1963年1月1日)

4月1日が日曜日に当たるため、琉球政府創立記念日が4月2日になっている。お盆休みはウークイとその翌日。新年の休みが1日だけになり、代わりに? Labor dayが増えた。

Ryukyuan Holidays (1964年)

3つの資料がある。なぜ分かれているのだろうか。

1. 春分(1964年3月20日)、琉球政府創立記念日(1964年4月1日)
2. お盆(1964年8月21日と22日)、Labor day(1964年9月7日)、秋分(1964年9月23日)、クリスマス(1964年12月25日)、新年(1965年1月1日)
3. クリスマス(1964年12月25日)、新年(1965年1月1日)、春分(1965年3月21日)、琉球政府創立記念日(1964年4月1日)、お盆(1965年8月11日と12日)、Labor day(1965年9月6日)、秋分(1965年9月23日)、クリスマス(1965年12月25日)、新年(1966年1月1日)

1964年のお盆はナカヌヒーとウークイ。翌日が日曜日なので前にずらしたのだろう。1965年のお盆はウークイとその翌日。

考察

沖縄には正月が3つあって、ヤマトの正月、ウチナー正月、アメリカ正月クリスマス、などと言ってましたが、クリスマスが公休日だったことも影響しているかもしれません。

お盆・彼岸は非常に重要視されていたようで休みから外れたことがありません。旧正月や十五夜や清明祭は外れてしまいました。

特にお盆は2日連続休み(日曜がうまく重なれば三連休)です。旧盆の習慣が保存されたから公休日だったのか、逆に公休日なので保存されたのか。復帰してからずいぶんお盆の様子も変わったし、公休日かどうかの影響は大きいのかも。

現在に比べると全体的に休日が少ないのが気になります。学校などはどうしていたのでしょうか?

公休日の指令が出るのが年が明けてから(ひどい時は年半ば)なのですが、カレンダー屋さんはどうしていたのでしょう?

他にも紙の資料があるようですが、現地に行かないと読めないようです。時間のあるときに行く予定。

リンク

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Posted by ず@沖縄