平和通りアーカイブス展の写真2点についてのメモ

2013/08/29昔話, 沖縄の昔の写真

平和通りアーカイブス展は時々掲示写真を入れ替えているとのことなので、ちょくちょく顔を出している。展示に携わっているお姐さんたちともゆんたくをするようになった。

なにぶん展示されている写真も古いので、撮影場所・時代が不明瞭な写真もある。それらの写真について、分かる範囲で情報をメモっておく。

ガーブ川の氾濫

那覇市歴史博物館所蔵の資料コード 02000581 の写真がガーブ川の氾濫の写真として掲示されていたが、これは新栄通り(新栄橋通り)だと思う。ガーブは水上店舗ができる前は何度も氾濫していたそうだ。

那覇市歴史博物館の写真は検索はできるのだが、検索結果をURLで示すことができないし(GETを受け付けない)、写真の引用規定も見つからない。仕方ないので、那覇まちのたね通信の類似写真で説明する。

撮影日時:1972年11月17日〜18日後/所有者:那覇市歴史博物館
ガーブ川の氾濫
配信元:那覇まちのたね通信
事業主体:NPO法人ちゅらしまフォトミュージアム・地域情報エージェント株式会社

(↑この写真の説明文の1972年は、おそらく1962年の誤りだと思われる。1972年なら水上店舗が存在するはずだが、それが写っていない)

特定するポイントは三角屋根の建物で、これが後のみつや書店になる。いまでは空き店舗
すーじ小7 : 日々のうちあたいには「小二か小三年の頃、木造建ての店舗が立ち並ぶ通りに五階建てくらいのビルが出来て、それがまるごとみつや書店だった」と書かれている)
また、この三角屋根部分を拡大すると○○○○デパートという文字が見えるが、何デパートなのだろうか?

以下の写真・動画がほぼ同位置ですので、比較することができる。

J.R.Webbさんの写真にはピンク色3階建ての水上店舗が写っていて、その下をガーブ川が流れている。当時は農連市場からむつみ橋まで連続している水上店舗は目立つ建物だった。現在はアーケードもあり周囲の建物も高くなったので、注意しないと水上店舗だとわかりにくい。こちらの写真では、三角屋根の建物の看板はみつや書店の前にあった花城書店と読めそうだ。

参考資料:

千歳橋付近

ガーブが建物の下に埋められる前は、当然そこには橋が架かっていて、橋の名前は重要な目印だったようだ。今では美栄橋・むつみ橋ぐらいか。(グダグダ(β) ガーブーの橋

今では神里原のほうまで浮島通りと呼ばれている通りも、半分以上は千歳橋通りだったらしい(グダグダ(β) 千歳橋通り(50年代初期))。

撮影日時:1959年/所有者:那覇市歴史博物館
市場本通り千歳橋付近、交差する道は浮島通り
配信元:那覇まちのたね通信
事業主体:NPO法人ちゅらしまフォトミュージアム・地域情報エージェント株式会社

上記写真を撮影するために上った建物らしき写真が、アーカイブス展会場に展示されていた。その写真では千歳橋付近に螺旋階段の建物が写っていて、そこが上記写真の撮影場所と思われるのだが、これがどこなのかが謎。

上記写真で川になっている部分は、現在では水上店舗になっているので、そこから推測(ゆんたく)した結果、新天地市場付近の三角形の建物じゃないかという結論に達したのだけど…要調査だなー。

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参考資料: